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映画とアニメのその先へ。

映画・アニメの紹介と感想。どこかで誰かが作品を通して何かに繋がると思ってます。

ひるね姫:日常ほのぼの系じゃないからね!

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ひるね姫〜わたしの知らない物語〜』(2017年/神山健治監督)

予告見た私:神山健治が日常(ちょいファンタジー)系!??
これはおもしろいに決まっている!!!

というわけで鑑賞完了。

だれだよ!日常系って言ったの!(答:自分)
これは神山健治作品です間違いないです。

夢と現実がリンクして展開していく物語。
そして”ここね”だけではなくその両親、そして家族の物語。
なぜ父親は母親を語らないのか。
母親はどんな人物だったのか。
父親が守ってきたものとはなんなのか。

夢というのは、やろうと思えばコントロールができるという説があり、
私も「これは夢だ」と夢の中で意識できることがあります。ほんとだよ。
さすがに現実とリンクするわけはないんですけれども。
でも夢という非現実的な、ある種、妄想のような事柄を通してなお現実を生きていくというのは
とてもおもしろく、かつその中で紐解かれる18年(くらいかな?)間。

 

なんとなく展開が読める物語ってあるじゃないですか。
これは、あーきっとこんな感じだな、こうなるのかな、というのは見ていて思うんだけれど、
それでもつまらなくないのは「その展開きたら胸熱!」があって、
夢のなかで冒険するここねを見てるとわくわくするし夢の中の無敵さがかっこいい。
そして「その展開は感動的だけど悲しすぎる」から。
当たってほしい予想と当たってしまうのがせつない複雑さで余計に引き込まれました。

 

新しいものを受け入れられない親と時代の先を行く娘という妙に現実的ななかで、
ちょっと近未来的な世界とファンタジー要素をもってくるなんて贅沢。
別に無理やりリアリティを追い求めすぎなくてもファンタジーも加えて
そこで何が描かれているのかを伝えるというのも良いと思っている私にはどストライクでした。

そしてエンディング。

立つものはいないだろうなさすがに。

高畑充希さんのカバーよかったですよ。
原曲はもっと古いけど、歌詞は忌野清志郎さんver.をカバーされてましたね。

某コンビニでも有名な『デイ・ドリーム・ビリーバー』。
本来の歌詞の意味するところとはEDで描かれるストーリーとは異なりますが、
本編はしんみりだったのにEDで大号泣しました。

でも観終わった後の感想が完全に

デイ・ドリーム・ビリーバー(私的意訳は”白昼夢”)
に尽きる。本編は布石かと。

 

まあそれでも少し靄がかかった家族の秘密を知って、切れてしまった繋がり…
大げさかもしれないけど絆をもう一度結び直して家族になる心温まる優しい話でした。

 

 

 

 

 

ていうと、なんだそのベタベタな感動物語は!と自分でも思うので、
最後は純粋に本当に率直に思った印象を述べて終わります。

ん?カリオストロエヴァナウシカ

ロボットバトルアクションときどき日常系です!

 

 

一番大活躍してたのはモリオだよ!モリオがいなかったら寝て終わりだったよ!

 

 

終わり。

 

ラ・ラ・ランド:語ることのない夢物語

page.18

ラ・ラ・ランド』(2016年/デイミアン・チャゼル監督)

夢追い人とつけようかと思って調べたら、
空想にふけるという言葉があって安易につけたくないなあなんて思いもして、
あながち間違ってもないとも思うも止めました。

 

単純に夢見がちな2人でもなく、
ただ、現実をすぐに受け入れられない諦めの悪さもあり、
その悪あがきさがとても気に入りました。

 

アカデミー賞最多受賞と共に、珍事が起こったり等、話題騒然の作品でしたね。
今年はアカデミー賞作品巡りを映画館で出来そうにないですが、まず1作品『ラ・ラ・ランド』!

正直、私はミュージカル映画は得意ではありません(笑)。
それこそ『レ・ミゼラブル』(2012年)に魅了されてから苦手意識が薄くなりました。
今となっては、何故観に行こうかと思ったのか思い出せません。
予告思い出せないし、チラシの印象が強かったからでしょうか。
前評判でミュージカルミュージカルミュージカル…とあまりにも言ってるから
「実はたいしてミュージカルじゃないのではないか」などと思っては行きました。

って、

がっつりミュージカルじゃん!

冒頭から強烈なミュージカル映画で2時間耐えられるか心配でした。
と、言いつつ縁あってリピート鑑賞してます(笑)。
ミュージカル映画の中でも『ウエストサイド・ストーリー』に近さを感じました。

 

中盤、良い意味でミュージカル映画だと忘れる時間もあり、
トーリーの波と歌の入れどころが終わってみれば最高でした。
というか、ただの恋愛映画でもなく、シンプルにハッピーエンドにならないこの終わり方が好きです。
何もかも手に入れた2人なら祝福できなかったかな。

だからこそ、友達にも薦めて。そしたら一緒に2回目行っちゃってました。
たまには友達と観たいとも思ったし、本作の感想を語れる相手がほしかったし。

2回目・・・・
冒頭の歌も心地よくて、中盤の「City of stars」がさらに好きになって、
終盤の”もしかしたらあった未来”を廻るように描いた演出がボルテージを上げ、
終わってみればサントラ衝動買いしよ!(してない)ってくらい好きな映画になってました。

 

ロサンゼルスが舞台なのもいいですね。映画の聖地・ハリウッドだけじゃなくて、
セブのような人も含めてニューヨークとはまた違う誰もが夢を追いかけられる場所。

ただ、追いかけられるのと叶えられるのは別物です。

 

夢を持てる人。
夢を追いかけられる人。

 

一緒に夢を追える人。
夢を応援してくれる人。

 

諦めて現実を見るだけの人。
現実も見て最後には夢を掴む人。

 

簡単と言うと語弊があるかもしれませんが、
大人になってからも何も上手くいかないと引き際を考えてしまいます。
夢だけを追えるのなら追っていたい。
でも夢だけ追えるのが人生でもない。
成功者は一握りだったりもします。

 

自分の夢を追い続けた先で愛した人と人生が交わる夢物語があっても良かった、

かもしれないけど、

お互いの夢への想いを分かってるからこそ背中を押し合って別れるという
最善の選択をとった人生の方が実はロマンチックだったりもするものです。

 

あなたがいなければ夢が夢で終わっていた、かもしれない。

あなたがいなくても夢は叶ってた、かもしれない。

でも、、、

あなたがいたから夢を諦めずに進めた。

あなたがいたから今の自分がいる。

 

相手の輝きを喜び、ずっと応援してくれる存在って大きいのだと思いました。
それと、チャンスを逃さないって大事なんだなと(ブーメラン)。

 

 

 

鑑賞してから1〜2か月経っても曲が頭で流れてくるほど、
ジャズの独特なテンポに踊りだしたくなっちゃうほど、好きみたい。

 

おわり。

素晴らしきかな、人生:あなたの幸せのオマケはなんですか?

page.17

『素晴らしきかな、人生』(2016年/デビット・フランケル監督)

原題がCollateral Beauty...

Collateral:付帯的な、二次的な

この意味が示すものはいったい…。先の方で独自解釈してます。
ていうか邦題が秀逸。

 

ローリングストーン誌ではワースト映画を選んだ例の記事で3位ではありますが
まあローリングストーン誌だし気にしないで見てほしい作品。
ただお涙頂戴というのはわからなくもないし、わかっていて行ったのもあります。
あからさまなお涙頂戴映画は好まないのですが、これは悲しい映画ではない、
むしろ別れを受け止め、乗り越え、今を生きる希望を見出す物語。

主人公の前に突如として現れる擬人化(が正しいかなあ?)した抽象概念たち。
死 時間 愛
それは主人公が人生において大切なものと位置づけた概念でもあったのです。
概念とはいえ字だけ見ても本当になんてアバウトな存在なんでしょうね。
なんだかファンタジックな作品に見えるのですが、、、というか私がそう思ってたのですが、実は、
心を閉ざしてしまった主人公を引き戻すため優しさが作った現実世界であり、
同時に、友のためにも現実を突きつける…苦渋の決断の結果作られた世界でもあるのです。
すべては彼に現実を受け止め、彼の人生を生きてほしいから・・・。

そして彼もまた徐々に歩みを進めようと踏み出します。

主人公も友人も概念と呼ばれる者たちも、誰かが誰かを思う気持ちで出来た映画。

ベタだっていいと思います。
それぞれが出会った「死」「時間」「愛」は避けられないもので、
主人公が言うように人生で必要不可欠なものなのでしょう。
一度は手放そうとしたものかもしれないし、手放したかもしれない。
今わからなくてもこれからわかるかもしれないそんなもの。
形も大きさも人によって変わるものでも無視できないものを温かく教えてくれる、
見た後にちょっとほっこりしちゃう物語でした。

特に印象に残ったのが主人公ハワードを演じたウィル・スミスの表情。
彼が訴えてくる感情が胸に響いてくる。
言おうにも出てこない言葉の重みや、何をしても埋まらない喪失感、
話そうとするだけで涙が出そうになる感じをその目、口元ですべて表していました。

そしてドミノ。

ドミノ倒しのドミノ。

ドミノへの熱中が彼をどれほど変人かと思わせるか、
積んだところで倒すというドミノのやるせなさなどありますが、
途中倒れたらまた並べて積んで形をつくって倒して完成への過程が
再び立ち上がっていこうという比喩にもなってるんじゃないかなーーーーーー(持論)。

最後に。同じ境遇に遭ったマデリンが言う”幸せのオマケ”とはなんでしょうね。
愛する人を亡くしてなお幸せと言えるのか。そのオマケは愛する人を亡くさなければ手に入らないのか。
このオマケって可愛く言ってますが、原題にありましたね、
<Collateral:付帯的な、二次的>これ。
亡くした人が残してくれたもの、無くなったものとそれでも無くならなかったもの。
これが幸せ!というものじゃなくて、ほんの少し見方を変えることで
今まで気付かなかったちょっとした幸せが見えてくる。それがオマケってことなのかなと思います。

あ。あのマデリンが会ったというおばあさん、いったい何者なのかなあ。
どこからどこまでが本当なんだろうって深追いせず、曖昧にしておくのもまた一興。

 

わたしの幸せのオマケはこれから見つけます^^
あなたの幸せのオマケはなにかしら?

 

 

 

以降ネタバレあり!!!!!!!!

 

 

 

 

 

ナオミ・ハリス演じるマデリン 。
最初は二人が同じ境遇で少しずつ惹かれあっていくのかなとか思っててすみませんでした。
ものすっごく全てが繋がって震えた。泣いた。
それにハワードが見ている以上に悲しみのなかにいたことに気づいた。また泣いた。
冒頭から時折出てくる娘との映像が再生されてるのを見て、
「娘の名前は?」「どうして亡くなったの?」「他人に戻れたら…の手紙」
すべてがこの瞬間のためにあって、マデリンもずっと待っていて、胸が締め付けられました。

そして、友人たち。キャスティング最高です。
エドワード・ノートンケイト・ウィンスレットマイケル・ペーニャ
仕事仲間として、それ以前に友人として自分たちが出来ること。したこと。
か ら の !!!!
ハワードが彼らに感謝を述べながら伝えた想い。
彼はすべて知っていた。彼らが悩んでいたことを。そして望む彼らの幸せ。
まずここで涙腺は崩壊してましたねえ・・・。

何かに絶望しかけたとき、人生に少し疲れてしまったとき、
幸せのオマケを探しにいきましょう。

 

 

おわり。

ポッピンQ:現実に同位体はいないけれども。

page.16

『ポッピンQ』(2016年/宮原直樹 監督)

東映アニメーション60周年記念作品という事で。
予告初見の時は「ダンスで世界を救うってなんだ!?」と興味薄かったのですが、
何度も見ているうちにダンスが可愛くて可愛くて。
予告の作戦通りといえばそうですが、徐々に主人公たちそれぞれが抱える気持ちが
気になってきて見届けたくなりました。

キャラデザも素敵で、ダンスシーンも可愛いから子ども向けに見えるけど、
大人でも十分に楽しめる作品だと思います。

正直、登場人物の悩みは、どれも今となっては大した事ないなと。
でもそこは、「子どもだな」とか「大人になったらもっと別の事で悩む」とか
大人気ない話をしたいわけではなく、その時代が終わってしまった人たちも同世代の子たちも
みんなが通る道でもあり、その時間を大切にしているからこその悩みなんだなあと。

まさに青春ですね。

同位体という存在は、実在しない生物ではありますが、”理解者”として
難しい年頃の女の子たちに寄り添ってくれるのも良いと思います。
現実ではなかなか理解してくれる人っていないからこそ、とても大切になるし、
返せば、現実に気持ちをわかってくれる人がいれば悩みがあっても
子どもも大人も少しずつ進んでいけるのかなと思わせてくれる作品でした。

 

ダンスに励む姿も、思いやる姿も、全員が可愛くて応援しながら見てました。
展開が読めたとしても、がんばれ…がんばれ…がんばれ!って心で思いながら。

 

わかりやすい展開と、ファンタジー要素のバランスが良く、
クライマックスへの入り方もテンション上がったし、緩急のつけ方がうまい。

 

今回はおそらく誰もEDで抜ける人はいなかったかな?

EDの後もありますからね。

最後まで席に座っていた方は観れたのではないでしょうか。

 

 

 

まだ上映あるのかな・・・(小声)
公開中に書くようにしていきたいと思います・・・。

 

 

終わり。

 

休憩。:映画業界全体に思うこと。

休憩。

再度、映画やアニメとどう関わっていきたいか、
どうしたい気持ちがあるのかをまとめておく回です。

のつもりでしたが・・・・
書いていて心情ばかりが出てきたので、ひとまず

まず、なぜこの話をするのか。

先日、友人と「映画をどうしていきたいのか」というような話をしました。
友人ほどのビジョンが明確にあるわけでもないですが、
まあ話して以来いろいろ考えまして、自分はどうしたいのかがわかったので書こうかと。
そして、映画全般ついて、特に日本で、危惧していることがあるのでそれを。

このブログを始めた理由や、ブログの説明にもある通り、
「映画やアニメを通して何かを感じられればいい」
「映画やアニメを通してコミュニケーションをとってほしい」
そこは変わりません。これは大前提として受け取ってもらえれば。

おバカ映画でも、単純明快な映画でも、小難しい映画でも何でもいい。
楽しい、怖い、悲しい、そういう一言でまとめたっていい。
深く考えてもいい。それが人生を変える映画になってもいい。
おすすめしたい映画はあるし、もちろん映画館に行って見たらまた違う味わいもあるし、
どういう気持ちで見て、どういう感想を持っても正直わたしはいいのです。

友人とある映画では徹底的に言い争い手前まで意見が分かれても
別の映画だと真逆の立ち位置になることもあったり、
友人が芸術的とか文化的とかそういうのだけで宣伝する映画を否定するようなことも言っていたけれど、
(それだけを推す宣伝方法が気に食わないだけなのは分かりますが)
でも結局そういう映画もあって、それが好きな人もいることを否定してるような気がして、
偏見 対 偏見だなあ…なんて思ってしまいました。

ただ、友人はアクションを起こせるカリスマ性を持っているので凄い人なんです。
きっと将来もっとBIGな人になっていることでしょう。

 

でも映画って何の変哲もない動画から始まっていたりもするし、
人を、技術を、自然を、歴史を見ることが出来る一つの文化だと私は思っています。
そこに対して好き嫌いが現れるのは当然だし、むしろ肯定だけの映画って少し気持ち悪い。
それに好きも嫌いもいれば、それだけ多くの意見や考えがあるから
そういうコミュニケーションが取れるところが、映画って凄いと思います。

それなのに。
映画業界に少し足を入れたことがありますが、離れたいま地元にいてとても思う。
映画の宣伝て凄いと思う一年だったけれど、
もっと映画を見てほしいとか、映画に興味もってほしいとかないのかな?
と、友人と思う方向は似ています。

どうしてそんなに楽しい映画なのに、おもしろそうな映画なのに公開が東京限定なの?

IMAXや4DXて見ごたえあると思うけど、シネコンに同じ作品ありすぎだよね?

公開狭めたり1日の本数減らして入れるとかしないの?
(配給会社、宣伝会社、映画館に多くの収入がいくみたいなのでこういうことなのでしょうが。)

単館向けなのもあると思うけど、本当に見てほしいって思ってるの?

大々的に一年の映画の興行収入が上回ったって一言で締めてそれでいいのでしょうか。
ベストテンが発表されたりして興行収入は凄いのに?という理由だけが持ち上がりますが、毎度言います。

興行収入で決まるなら発表しないから。
では、◯◯ノミネート、受賞、落選その結果だけでいいのでしょうか。

今が逆にチャンスなのでは?

今まで報道されなかったわけではないけど、
あらゆる映画祭の意味や映画の発展を含め映画全体に注目できるよう促すならいまだと思う。
莫大な動員数と興収は、いま映画に対して気持ちが動いているということ。
一瞬の流行りからその興味を継続できるのは一部。
ノミネートだろうがなんだろうが、
じゃあ多くが期待していた映画がノミネートを外れた、じゃあその映画を抑えた作品て?
もっと紹介していってもいいのでは?
他の映画祭でノミネートしてたりする日本映画もあるなら関連付けられないかな? 等々。

 

映画館が潰れてもいる一方でインターネットで見る人もいるんだから、
やり方はひとつじゃないと思います。
単館は終わってから本番みたいな雰囲気がレンタルしていて思うし、
いろんな人がブログや個人的にも広めているんだから。

 

じゃあどうするかって話になるので、中途半端ですが、

終わります!!!(え!)

ウォールフラワー:踏み出す勇気。青春の始まり。

page.15

『ウォールフラワー』(2012年/スティーヴン・チョボスキー監督)

 

*************************
さよなら、壁際の僕。
チャーリー、16歳、友達0人。
彼の高校生活は2人の"はみだし者"との出会いによって一変した。

*************************


スクールカーストでも表せないようなヤツらの青春。
(そもそもスクールカーストに興味がないと言ってもいい)

甘くて苦い青春。
ママレード・ボーイではない)

公開当時、就活か何かで時間が合わないまま、
気づけば終わっていた本作をついに見ました。
社会人になってはや数年。
見よう見ようと思うも心の余裕がないと見れなそうで手に取れずやっと。

 

タイトルとキャッチコピーで想像つく人はつきます。
残念ながら私はどうしてタイトル<直訳:壁の花>なのかわかりませんでした。
壁の花ってなんぞ、と。青春の表現なのか、作品の中にでてくる何かなのかと思っていました。
だからこそ、"ウォールフラワー"という言葉が出てきた場面が
とても印象に残り大好きな作品となっていたりもしています。

 

おそらく、このキャッチコピーから好き嫌いは分かれるのかなと。
真っさらに何も考えられず見れるのであればいいと思いますが、
奥手な部分や、過去の記憶・トラウマ、恋愛の初手がわからない等々
こういう人もいるということを理解できなければおもしろくないと思います。

主人公・チャーリーにとってサムとパトリックは、
学校の真ん中で輝いてるような存在ではないし、
仲間たちは世間的に見れば流行りに乗ってるわけでもなく、
大きく外れてるわけでもない。
でも自分たちが楽しいおもしろいと思うことに
真っ直ぐに楽しむ眩しい存在なんです。
閉じこもることを止め、外に踏み出そうとしたチャーリーにとって憧れの存在になる。

そしてパトリックが主人公を思い言った言葉
(パトリックは皮肉も含めてたらしいけど)。

チャーリーは"ウォールフラワー"だと。

壁際にいて誰の目にも止まらないと思っていた僕を見つけてくれた瞬間。
チャーリーの青春が始まった瞬間。
たった一歩から始まった青春は主人公を広い広い世界に連れ出してくれます。

しかし大人になっていく仲間たち。
将来を決めていく仲間たち。
時々、優しい家族との間に垣間見える主人公の過去が
じわりじわりと影を落としていき、そして。

 

ああ、青春には必ず終わりがくるのだ。

 

先に述べたように、この作品は理解できる人もいれば出来ない人もいるでしょう。
どの作品でもそうかもしれませんが、
中には「主人公の生き方が理解できない」ような人もいるのかもしれません。
誰もが真ん中に立てるわけではない。
でも楽しんだ時、楽しんでる時、間違いなく自分の中では
そこが自分にとって最高のステージだったのではないでしょうか。

誰が判断してもしょうがない。
だって、彼らはその他大勢からの個人的な価値基準なんて興味ないのだから。
自分たちの生活を楽しみ、将来に不安を抱えながら生きていく。
青春だなあ。

 

私は可もなく不可もない普通の学生生活を過ごしてきました。
勉強をして部活をして。友達もいました。
ただ、楽しいと思うことを理解されないことや、
うまく友だち付き合いが出来ないこともたくさんありました。トラウマだってあります。
だからかもしれない。
主人公が代わりに新しいページを開いてくれた冒頭から応援したくなりました。
その先に甘くて苦い時間が待っていようとも。
青春映画とはいえ、どう繕っても綺麗な話だけにはまとまりません。
大親友となった仲間も問題は抱えていて、
それを包み込んで一緒にいてくれる相手を誰しも必要としていたんです。

 

大事な存在だとはっきりそれが分かるのは、
一緒にいる瞬間じゃない事の方が多いと思う。その瞬間は楽しんでいるだけだから。
それも大切なのだけれど。
チャーリーが、サムが、パトリックが、独りになってしまったときに声をかけられる、
側にいてくれる、連れ出してくれた時に、お互いが大事な大事な友であるとわかるのでしょう。
そして青春は新しく始まるのだろう。

 

と、最後の最後には少し苦味を残した、でもすっきりした感覚になって、
なにこれ!好き!というキラキラした映画になりました。
目を開いて笑顔でエンドロールを迎えたその時の私の顔を見せたいくらい。

 

最後に。この作品を見ようと思った最大の理由は、役者。
エマ・ワトソンはもちろんのこと、当時出てきたくらいかな?
注目していたローガン・ラーマン、エズラ・ミラーという3人の共演は
とても私にとって嬉しくてしかたのないもので、
本作での彼ら3人の男女の壁を乗り越えた友情は心を温かいものにしてくれました。

 

桐島、部活やめるってよ』の感覚にもほんの少し似ている。
学校の下の目立たない存在が躍り出るという。
しかし、この作品は上も下もないんですよね。
この作品は見えていない存在から始まるのだから。

 

誰からも目に止められなかった僕。
でも受け身な僕を止め、少しだけ踏み出したところから、
そして見つけてくれる相手に出会えたところから物語が動きだした。
その一歩が大きな一歩になった。

 

一歩を踏み出すって大事。

 

 

 

 

おわり。

 

ミュージアム:進化し続ける小栗旬を見逃すこと勿れ。

page.14

ミュージアム』(2016年/大友啓史監督)

 

10年以上(そんなに経つの…)小栗旬さんを応援してきた筆者としては、
原作は読んでないまでも、ミステリーホラーが好きな筆者としては、
観に行かなければならない使命感があったりなかったり。
とにかく去年観に行きました(書いてなかったのです…)。

先に謝罪を致します。
三池崇史監督だと勘違いして行ってました。
何をどこで間違えていたんでしょうか。
三池さんてこんな感じのカメラワークに、アクションシーンだったか?

<エンドロール>

あ、、
大友啓史監督だわ。(…恥ずかしい///)

血がNGな方にはオススメできません。
いくらミステリー好きと言っても流血どころじゃありません。
残虐的な部分を見せられるレベルにはあげています。
刑罰の考えはなるほどと思ってしまうような内容なんですが。
そのグロさと怖さは、筆者の後方にいた、男子学生グループの一人が、
「怖くて(友達の)腕しがみつきながら観てた…」
というくらいです!!!!????
余韻は少しあったけれど、ほほえましくてほっこりしました。

え?私?「うおーグロいな」「この撮影場所あの映画と同じか?」
「この肉…まさか…まさか…うわああああああああああ!あーそういうこと」
という感じで気持ち悪くはなりながら目も話せぬ展開に終始つっこんでました。

ただこの話。単純にグロいとか、サイコパスだとかそういう類ではないんですよね。
裁判員制度”とそのあり方とは。そして”冤罪”の行方。少し”家族”。
裁判員制度がなくなったわけでもなく、いつ自分が裁判に呼ばれるかもわからない。
他人の事件だろうが許されない話もあるなかで。
どう事件を見ていかなければならないか、ということも大事なんだなと。
これは裁判員として選ばれたからというわけではなく、警察も検察も弁護士もだからいるんだろうと。
それと、裁判だけじゃなく家族・友人と日頃から会話をする重要性。

家庭を持ったのならば、家族を顧みる生活を心がけてほしい。


犯罪が芸術だなんて現実にあったらたまったものじゃない。


小栗旬さんもいろんな役が染み付いてきたなー。
(結婚して子どももできたことで幅広くなったことでしょう。
 情熱大陸ファミリーヒストリーかアナザースカイ辺りで今の小栗旬を密着しないだろうか)

でもやっぱりどこか怒りとか悲しみに物足りなさはあるので今後楽しみにしてます。


終わり。