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映画とアニメのその先へ。

映画・アニメの紹介と感想。作品のその先で、どこかで誰かが何かと繋がるのを期待して。

素晴らしきかな、人生:あなたの幸せのオマケはなんですか?

page.17

『素晴らしきかな、人生』(2016年/デビット・フランケル監督)

原題がCollateral Beauty...

Collateral:付帯的な、二次的な

この意味が示すものはいったい…。先の方で独自解釈してます。
ていうか邦題が秀逸。

 

ローリングストーン誌ではワースト映画を選んだ例の記事で3位ではありますが
まあローリングストーン誌だし気にしないで見てほしい作品。
ただお涙頂戴というのはわからなくもないし、わかっていて行ったのもあります。
あからさまなお涙頂戴映画は好まないのですが、これは悲しい映画ではない、
むしろ別れを受け止め、乗り越え、今を生きる希望を見出す物語。

主人公の前に突如として現れる擬人化(が正しいかなあ?)した抽象概念たち。
死 時間 愛
それは主人公が人生において大切なものと位置づけた概念でもあったのです。
概念とはいえ字だけ見ても本当になんてアバウトな存在なんでしょうね。
なんだかファンタジックな作品に見えるのですが、、、というか私がそう思ってたのですが、実は、
心を閉ざしてしまった主人公を引き戻すため優しさが作った現実世界であり、
同時に、友のためにも現実を突きつける…苦渋の決断の結果作られた世界でもあるのです。
すべては彼に現実を受け止め、彼の人生を生きてほしいから・・・。

そして彼もまた徐々に歩みを進めようと踏み出します。

主人公も友人も概念と呼ばれる者たちも、誰かが誰かを思う気持ちで出来た映画。

ベタだっていいと思います。
それぞれが出会った「死」「時間」「愛」は避けられないもので、
主人公が言うように人生で必要不可欠なものなのでしょう。
一度は手放そうとしたものかもしれないし、手放したかもしれない。
今わからなくてもこれからわかるかもしれないそんなもの。
形も大きさも人によって変わるものでも無視できないものを温かく教えてくれる、
見た後にちょっとほっこりしちゃう物語でした。

特に印象に残ったのが主人公ハワードを演じたウィル・スミスの表情。
彼が訴えてくる感情が胸に響いてくる。
言おうにも出てこない言葉の重みや、何をしても埋まらない喪失感、
話そうとするだけで涙が出そうになる感じをその目、口元ですべて表していました。

そしてドミノ。

ドミノ倒しのドミノ。

ドミノへの熱中が彼をどれほど変人かと思わせるか、
積んだところで倒すというドミノのやるせなさなどありますが、
途中倒れたらまた並べて積んで形をつくって倒して完成への過程が
再び立ち上がっていこうという比喩にもなってるんじゃないかなーーーーーー(持論)。

最後に。同じ境遇に遭ったマデリンが言う”幸せのオマケ”とはなんでしょうね。
愛する人を亡くしてなお幸せと言えるのか。そのオマケは愛する人を亡くさなければ手に入らないのか。
このオマケって可愛く言ってますが、原題にありましたね、
<Collateral:付帯的な、二次的>これ。
亡くした人が残してくれたもの、無くなったものとそれでも無くならなかったもの。
これが幸せ!というものじゃなくて、ほんの少し見方を変えることで
今まで気付かなかったちょっとした幸せが見えてくる。それがオマケってことなのかなと思います。

あ。あのマデリンが会ったというおばあさん、いったい何者なのかなあ。
どこからどこまでが本当なんだろうって深追いせず、曖昧にしておくのもまた一興。

 

わたしの幸せのオマケはこれから見つけます^^
あなたの幸せのオマケはなにかしら?

 

 

 

以降ネタバレあり!!!!!!!!

 

 

 

 

 

ナオミ・ハリス演じるマデリン 。
最初は二人が同じ境遇で少しずつ惹かれあっていくのかなとか思っててすみませんでした。
ものすっごく全てが繋がって震えた。泣いた。
それにハワードが見ている以上に悲しみのなかにいたことに気づいた。また泣いた。
冒頭から時折出てくる娘との映像が再生されてるのを見て、
「娘の名前は?」「どうして亡くなったの?」「他人に戻れたら…の手紙」
すべてがこの瞬間のためにあって、マデリンもずっと待っていて、胸が締め付けられました。

そして、友人たち。キャスティング最高です。
エドワード・ノートンケイト・ウィンスレットマイケル・ペーニャ
仕事仲間として、それ以前に友人として自分たちが出来ること。したこと。
か ら の !!!!
ハワードが彼らに感謝を述べながら伝えた想い。
彼はすべて知っていた。彼らが悩んでいたことを。そして望む彼らの幸せ。
まずここで涙腺は崩壊してましたねえ・・・。

何かに絶望しかけたとき、人生に少し疲れてしまったとき、
幸せのオマケを探しにいきましょう。

 

 

おわり。

ポッピンQ:現実に同位体はいないけれども。

page.16

『ポッピンQ』(2016年/宮原直樹 監督)

東映アニメーション60周年記念作品という事で。
予告初見の時は「ダンスで世界を救うってなんだ!?」と興味薄かったのですが、
何度も見ているうちにダンスが可愛くて可愛くて。
予告の作戦通りといえばそうですが、徐々に主人公たちそれぞれが抱える気持ちが
気になってきて見届けたくなりました。

キャラデザも素敵で、ダンスシーンも可愛いから子ども向けに見えるけど、
大人でも十分に楽しめる作品だと思います。

正直、登場人物の悩みは、どれも今となっては大した事ないなと。
でもそこは、「子どもだな」とか「大人になったらもっと別の事で悩む」とか
大人気ない話をしたいわけではなく、その時代が終わってしまった人たちも同世代の子たちも
みんなが通る道でもあり、その時間を大切にしているからこその悩みなんだなあと。

まさに青春ですね。

同位体という存在は、実在しない生物ではありますが、”理解者”として
難しい年頃の女の子たちに寄り添ってくれるのも良いと思います。
現実ではなかなか理解してくれる人っていないからこそ、とても大切になるし、
返せば、現実に気持ちをわかってくれる人がいれば悩みがあっても
子どもも大人も少しずつ進んでいけるのかなと思わせてくれる作品でした。

 

ダンスに励む姿も、思いやる姿も、全員が可愛くて応援しながら見てました。
展開が読めたとしても、がんばれ…がんばれ…がんばれ!って心で思いながら。

 

わかりやすい展開と、ファンタジー要素のバランスが良く、
クライマックスへの入り方もテンション上がったし、緩急のつけ方がうまい。

 

今回はおそらく誰もEDで抜ける人はいなかったかな?

EDの後もありますからね。

最後まで席に座っていた方は観れたのではないでしょうか。

 

 

 

まだ上映あるのかな・・・(小声)
公開中に書くようにしていきたいと思います・・・。

 

 

終わり。

 

休憩。:映画業界全体に思うこと。

休憩。

再度、映画やアニメとどう関わっていきたいか、
どうしたい気持ちがあるのかをまとめておく回です。

のつもりでしたが・・・・
書いていて心情ばかりが出てきたので、ひとまず

まず、なぜこの話をするのか。

先日、友人と「映画をどうしていきたいのか」というような話をしました。
友人ほどのビジョンが明確にあるわけでもないですが、
まあ話して以来いろいろ考えまして、自分はどうしたいのかがわかったので書こうかと。
そして、映画全般ついて、特に日本で、危惧していることがあるのでそれを。

このブログを始めた理由や、ブログの説明にもある通り、
「映画やアニメを通して何かを感じられればいい」
「映画やアニメを通してコミュニケーションをとってほしい」
そこは変わりません。これは大前提として受け取ってもらえれば。

おバカ映画でも、単純明快な映画でも、小難しい映画でも何でもいい。
楽しい、怖い、悲しい、そういう一言でまとめたっていい。
深く考えてもいい。それが人生を変える映画になってもいい。
おすすめしたい映画はあるし、もちろん映画館に行って見たらまた違う味わいもあるし、
どういう気持ちで見て、どういう感想を持っても正直わたしはいいのです。

友人とある映画では徹底的に言い争い手前まで意見が分かれても
別の映画だと真逆の立ち位置になることもあったり、
友人が芸術的とか文化的とかそういうのだけで宣伝する映画を否定するようなことも言っていたけれど、
(それだけを推す宣伝方法が気に食わないだけなのは分かりますが)
でも結局そういう映画もあって、それが好きな人もいることを否定してるような気がして、
偏見 対 偏見だなあ…なんて思ってしまいました。

ただ、友人はアクションを起こせるカリスマ性を持っているので凄い人なんです。
きっと将来もっとBIGな人になっていることでしょう。

 

でも映画って何の変哲もない動画から始まっていたりもするし、
人を、技術を、自然を、歴史を見ることが出来る一つの文化だと私は思っています。
そこに対して好き嫌いが現れるのは当然だし、むしろ肯定だけの映画って少し気持ち悪い。
それに好きも嫌いもいれば、それだけ多くの意見や考えがあるから
そういうコミュニケーションが取れるところが、映画って凄いと思います。

それなのに。
映画業界に少し足を入れたことがありますが、離れたいま地元にいてとても思う。
映画の宣伝て凄いと思う一年だったけれど、
もっと映画を見てほしいとか、映画に興味もってほしいとかないのかな?
と、友人と思う方向は似ています。

どうしてそんなに楽しい映画なのに、おもしろそうな映画なのに公開が東京限定なの?

IMAXや4DXて見ごたえあると思うけど、シネコンに同じ作品ありすぎだよね?

公開狭めたり1日の本数減らして入れるとかしないの?
(配給会社、宣伝会社、映画館に多くの収入がいくみたいなのでこういうことなのでしょうが。)

単館向けなのもあると思うけど、本当に見てほしいって思ってるの?

大々的に一年の映画の興行収入が上回ったって一言で締めてそれでいいのでしょうか。
ベストテンが発表されたりして興行収入は凄いのに?という理由だけが持ち上がりますが、毎度言います。

興行収入で決まるなら発表しないから。
では、◯◯ノミネート、受賞、落選その結果だけでいいのでしょうか。

今が逆にチャンスなのでは?

今まで報道されなかったわけではないけど、
あらゆる映画祭の意味や映画の発展を含め映画全体に注目できるよう促すならいまだと思う。
莫大な動員数と興収は、いま映画に対して気持ちが動いているということ。
一瞬の流行りからその興味を継続できるのは一部。
ノミネートだろうがなんだろうが、
じゃあ多くが期待していた映画がノミネートを外れた、じゃあその映画を抑えた作品て?
もっと紹介していってもいいのでは?
他の映画祭でノミネートしてたりする日本映画もあるなら関連付けられないかな? 等々。

 

映画館が潰れてもいる一方でインターネットで見る人もいるんだから、
やり方はひとつじゃないと思います。
単館は終わってから本番みたいな雰囲気がレンタルしていて思うし、
いろんな人がブログや個人的にも広めているんだから。

 

じゃあどうするかって話になるので、中途半端ですが、

終わります!!!(え!)

ウォールフラワー:踏み出す勇気。青春の始まり。

page.15

『ウォールフラワー』(2012年/スティーヴン・チョボスキー監督)

 

*************************
さよなら、壁際の僕。
チャーリー、16歳、友達0人。
彼の高校生活は2人の"はみだし者"との出会いによって一変した。

*************************


スクールカーストでも表せないようなヤツらの青春。
(そもそもスクールカーストに興味がないと言ってもいい)

甘くて苦い青春。
ママレード・ボーイではない)

公開当時、就活か何かで時間が合わないまま、
気づけば終わっていた本作をついに見ました。
社会人になってはや数年。
見よう見ようと思うも心の余裕がないと見れなそうで手に取れずやっと。

 

タイトルとキャッチコピーで想像つく人はつきます。
残念ながら私はどうしてタイトル<直訳:壁の花>なのかわかりませんでした。
壁の花ってなんぞ、と。青春の表現なのか、作品の中にでてくる何かなのかと思っていました。
だからこそ、"ウォールフラワー"という言葉が出てきた場面が
とても印象に残り大好きな作品となっていたりもしています。

 

おそらく、このキャッチコピーから好き嫌いは分かれるのかなと。
真っさらに何も考えられず見れるのであればいいと思いますが、
奥手な部分や、過去の記憶・トラウマ、恋愛の初手がわからない等々
こういう人もいるということを理解できなければおもしろくないと思います。

主人公・チャーリーにとってサムとパトリックは、
学校の真ん中で輝いてるような存在ではないし、
仲間たちは世間的に見れば流行りに乗ってるわけでもなく、
大きく外れてるわけでもない。
でも自分たちが楽しいおもしろいと思うことに
真っ直ぐに楽しむ眩しい存在なんです。
閉じこもることを止め、外に踏み出そうとしたチャーリーにとって憧れの存在になる。

そしてパトリックが主人公を思い言った言葉
(パトリックは皮肉も含めてたらしいけど)。

チャーリーは"ウォールフラワー"だと。

壁際にいて誰の目にも止まらないと思っていた僕を見つけてくれた瞬間。
チャーリーの青春が始まった瞬間。
たった一歩から始まった青春は主人公を広い広い世界に連れ出してくれます。

しかし大人になっていく仲間たち。
将来を決めていく仲間たち。
時々、優しい家族との間に垣間見える主人公の過去が
じわりじわりと影を落としていき、そして。

 

ああ、青春には必ず終わりがくるのだ。

 

先に述べたように、この作品は理解できる人もいれば出来ない人もいるでしょう。
どの作品でもそうかもしれませんが、
中には「主人公の生き方が理解できない」ような人もいるのかもしれません。
誰もが真ん中に立てるわけではない。
でも楽しんだ時、楽しんでる時、間違いなく自分の中では
そこが自分にとって最高のステージだったのではないでしょうか。

誰が判断してもしょうがない。
だって、彼らはその他大勢からの個人的な価値基準なんて興味ないのだから。
自分たちの生活を楽しみ、将来に不安を抱えながら生きていく。
青春だなあ。

 

私は可もなく不可もない普通の学生生活を過ごしてきました。
勉強をして部活をして。友達もいました。
ただ、楽しいと思うことを理解されないことや、
うまく友だち付き合いが出来ないこともたくさんありました。トラウマだってあります。
だからかもしれない。
主人公が代わりに新しいページを開いてくれた冒頭から応援したくなりました。
その先に甘くて苦い時間が待っていようとも。
青春映画とはいえ、どう繕っても綺麗な話だけにはまとまりません。
大親友となった仲間も問題は抱えていて、
それを包み込んで一緒にいてくれる相手を誰しも必要としていたんです。

 

大事な存在だとはっきりそれが分かるのは、
一緒にいる瞬間じゃない事の方が多いと思う。その瞬間は楽しんでいるだけだから。
それも大切なのだけれど。
チャーリーが、サムが、パトリックが、独りになってしまったときに声をかけられる、
側にいてくれる、連れ出してくれた時に、お互いが大事な大事な友であるとわかるのでしょう。
そして青春は新しく始まるのだろう。

 

と、最後の最後には少し苦味を残した、でもすっきりした感覚になって、
なにこれ!好き!というキラキラした映画になりました。
目を開いて笑顔でエンドロールを迎えたその時の私の顔を見せたいくらい。

 

最後に。この作品を見ようと思った最大の理由は、役者。
エマ・ワトソンはもちろんのこと、当時出てきたくらいかな?
注目していたローガン・ラーマン、エズラ・ミラーという3人の共演は
とても私にとって嬉しくてしかたのないもので、
本作での彼ら3人の男女の壁を乗り越えた友情は心を温かいものにしてくれました。

 

桐島、部活やめるってよ』の感覚にもほんの少し似ている。
学校の下の目立たない存在が躍り出るという。
しかし、この作品は上も下もないんですよね。
この作品は見えていない存在から始まるのだから。

 

誰からも目に止められなかった僕。
でも受け身な僕を止め、少しだけ踏み出したところから、
そして見つけてくれる相手に出会えたところから物語が動きだした。
その一歩が大きな一歩になった。

 

一歩を踏み出すって大事。

 

 

 

 

おわり。

 

ミュージアム:進化し続ける小栗旬を見逃すこと勿れ。

page.14

ミュージアム』(2016年/大友啓史監督)

 

10年以上(そんなに経つの…)小栗旬さんを応援してきた筆者としては、
原作は読んでないまでも、ミステリーホラーが好きな筆者としては、
観に行かなければならない使命感があったりなかったり。
とにかく去年観に行きました(書いてなかったのです…)。

先に謝罪を致します。
三池崇史監督だと勘違いして行ってました。
何をどこで間違えていたんでしょうか。
三池さんてこんな感じのカメラワークに、アクションシーンだったか?

<エンドロール>

あ、、
大友啓史監督だわ。(…恥ずかしい///)

血がNGな方にはオススメできません。
いくらミステリー好きと言っても流血どころじゃありません。
残虐的な部分を見せられるレベルにはあげています。
刑罰の考えはなるほどと思ってしまうような内容なんですが。
そのグロさと怖さは、筆者の後方にいた、男子学生グループの一人が、
「怖くて(友達の)腕しがみつきながら観てた…」
というくらいです!!!!????
余韻は少しあったけれど、ほほえましくてほっこりしました。

え?私?「うおーグロいな」「この撮影場所あの映画と同じか?」
「この肉…まさか…まさか…うわああああああああああ!あーそういうこと」
という感じで気持ち悪くはなりながら目も話せぬ展開に終始つっこんでました。

ただこの話。単純にグロいとか、サイコパスだとかそういう類ではないんですよね。
裁判員制度”とそのあり方とは。そして”冤罪”の行方。少し”家族”。
裁判員制度がなくなったわけでもなく、いつ自分が裁判に呼ばれるかもわからない。
他人の事件だろうが許されない話もあるなかで。
どう事件を見ていかなければならないか、ということも大事なんだなと。
これは裁判員として選ばれたからというわけではなく、警察も検察も弁護士もだからいるんだろうと。
それと、裁判だけじゃなく家族・友人と日頃から会話をする重要性。

家庭を持ったのならば、家族を顧みる生活を心がけてほしい。


犯罪が芸術だなんて現実にあったらたまったものじゃない。


小栗旬さんもいろんな役が染み付いてきたなー。
(結婚して子どももできたことで幅広くなったことでしょう。
 情熱大陸ファミリーヒストリーかアナザースカイ辺りで今の小栗旬を密着しないだろうか)

でもやっぱりどこか怒りとか悲しみに物足りなさはあるので今後楽しみにしてます。


終わり。





この世界の片隅に:究極の日常かつ、紙一重の世界に私たちはいる。

page.13

この世界の片隅に』/(2016年 片渕須直 監督) 

究極の”日常”。”それでも世界は廻っている”。

クラウドファンディングの映画として始まり、公開規模は小さいながらも
興収ランキングベスト10入りを続けています。
当初の公開館数は、全国63スクリーンとのこと。
テアトル新宿では完売・立ち見続出…これはアニメ版『時をかける少女』のような雰囲気が。

筆者が見た時も朝一ながらほぼ満員でした。
県内でも限られた場所しかやっていないので入れてよかったです。

※まとまりが悪いかもしれないので、後々修正入れるかもです。

さて、この映画は終戦記念ドラマにもなっているわけで、
第二次世界大戦が終わるまでの
広島・呉で過ごす主人公をメインに描かれた戦争中の話。

<戦争中が題材の作品で何を思い浮かべますか?>

お国のために戦う兵士でしょうか。原爆でしょうか。悲惨な光景でしょうか。
戦争×アニメと言えばやはり『火垂るの墓』もあります。
とはいえ、
それぞれ想像するものは異なるとかと思います。
ただ今回は、どのイメージも大概外れそうです(原作を知っている事は抜きに)。

この世界の片隅に』は、戦争中も家族と過ごして暮らす日常もあったことを教えてくれます。
鈴ちゃんの一挙手一投足がおもしろくて、クスクス笑っちゃいます。大半笑ってました。
でも、戦争に無関係というわけではありません。
今まで穏やかに暮らしていた日々にじわりじわりと戦争は影を落としていくのです。
配給も徐々に徐々に減っていき、避難を考え始め…戦争は日常に侵入してきます。
それがこの映画の見どころのひとつだと思っています。
そして、
何事も終わる時は突然やってくる、ということも忘れてはいけませんね…。

流されるままに結婚をし、不慣れな土地でもなんとか生きていく鈴を見守って見ていました。
優しいご両親とは反対に鈴に厳しく当たる義姉ですが、この方の生き方に時代を感じます。
ハイカラ好きで。自立できる女性で。鈴とはまるで正反対。
今でこそ当たり前になってきたことも肩身が狭い思いもしてきているでしょう。
対比したくなるほど重要な人だとも言えます。
ただ、誰もが見ていて、厳しい中に優しさもしっかりある人だということを感じると思います。
「なるようになる」とは良い言葉だと思いますが、生きることはそんなに甘くないんだということ、
自分の意思を持って生きていくこと、を強く受けました。
そのなかで鈴ちゃんののんびりさは健在していて。戦争中であっても、戦争中だからこそ、
笑っていられることの大切さをじーーーーーーーーーーーーーんと噛み締め、
そして一緒に笑いました。

あの8月6日も、実際の証言を元に描かれたということで、
モノクロで見る映像でもなく、映画で見るそれでもない。
光も音も揺れも色も、広島市ではない場所から知ることも必要なんだなと。
だって戦争は、日本各地でそれぞれの形で起こっているのですから。
描かれないような場所でもそこに日常があって、誰かは生きているのです。
生き残った未来を生きているのです。
つらい、苦しい、見えない。それでも生きていく。

そして、これは昭和の話に留まらないと思うのです。
鈴の平々凡々さ。呉の人々。その他大勢。結局大多数はここに集約されるでしょう。
歴史に名を刻まれることは無く、語られることも無い、特別なことは何も無い世界にいる。
自分には降り注がなかっただけであって、悲劇は紙一重のなかに私たちはいる。
でも日本のどこかで、世界のどこかで何かは起こっています。
戦争かもしれないし、災害かもしれない。事故かもしれない。唐突に終わりはやってくる。
それでも世界は回るし、私は生きているし、生活もできている。
納得できないけど条理であって、不変のことでもあったりしてまさに無常。

最初に述べた”究極の日常”と言ったのはこういうことなんですけど。伝わっているのだろうか。


戦争は無くならないとか、無視していいとか言ってないの
で勘違いしないでください。
どれだけ色鮮やかに描かれても、絵のタッチがまるくてもそれが余計に戦争の怖さを思い知ります。


この世界の片隅に」生きていることは、他人事ではありません(自分は違うって思う人もいてもいいけど)。
少なからず、私は片隅にいると思います。運良く日本でのんびり生きてます。
鈴ちゃんはぼーっと生きてきて、「私はここよ」とアピールしているわけでもなく
何も変わらない日々にいたけど、そのなか鈴ちゃんを見てくれていた人もいて。
そこに幸せがあって、今度は鈴ちゃんが誰かを見つける番なんだなあとしみじみ。
でも小さい話のようでそういう幸せが実は難しかったりもするんですよね。
変わる日常、変わらない日常。変わる場所、変わらない場所。
それでも変わっていくことをどう受け止めるか、自分はどうしたいのかを考え生きていく勇気を
鈴ちゃんに教えてもらいました。

タイトルって言い切りじゃないですよね。
この世界の片隅に」の後に何か続いてもいい気がします。
この世界の片隅に生きる、とか。見つけた、とか。いる君、とか何でもいいと思いますけど。


最後に。
何も考えず、もしくはひたすら感動したと済ませて号泣ということはなかったです。
笑えること、楽しいこと、じわりと迫ってくる恐怖、戦争の恐怖、終わった安心と傷跡、そして希望。
その一つ一つの感覚を観客に見せて感じさせているようで、
当たり前を突然失う寂しさや哀しさ、普段の何気ないことがどれだけ愛しくて尊いものかを知り、
そういう世界で私たちは生きていることに気づいた時、自然に涙が流れ、止まることなく溢れてきました。


おわり。

永い言い訳:言い訳が終わる時は人生の終わり。

page.12

永い言い訳』(2016年/西川美和 監督)

アニメ・洋画だけじゃなく、邦画も観ます。
今回10月あたりですね。そういえば書いてないなと。観たくて気になってたのですよ。

監督は『ゆれる』『ディア・ドクター』で話題をさらった西川美和さん。
個人的にこの方の作品の好きなところは、
オリジナル脚本であるところと、画面の少しぼやけた感じです。
鮮明な綺麗さではなく少し荒い感じが、人間関係を描く作品をより引き立たせてるように思ってます。

 

タイトルの副題に「言い訳が終わる時は人生の終わり」とつけたのは、
本作を観た筆者が作品から受け取ったタイトルの意味です。
監督自身、原作小説の第一章に出てきた長い言い訳
というフレーズがびびっときて云々あってつけたと後から知りましたが。

本木雅弘さん演じる衣笠幸夫(読み方はあの鉄人と同姓同名です。それがネタです。)は、
自分の殻に閉じこもり、それでいて名声がほしくて、
プライドを捨てきれない人間で、妻にも後ろめたさを持って暮らしていて。
妻が亡くなって初めて気づいた妻への気持ちも、いままで抱えていた感情も全て。
結婚した理由も。不倫をしたことも。子どもの世話をしたことも。仕事さえも。
贖罪のつもりかもしれないけれど、どう言い繕ったところで何を言っても後の祭り。
言い訳にしか聞こえないってことかなと。
ああ、この衣笠という男は全てを悟った
上でなお、
これからもこうやって言い訳の人生を生きていくしかないんだ」
と最後まで観てもこの感想しか出てきませんでした。
落胆とはまた違う、清々しいほどに納得してしまっているんです。

 

言い訳をしながら防衛して生きてきた。

その人生にさえも言い訳をしている。

そして、これからも日々を振り返ったところで言い訳に過ぎない。

永い…長いよりもさらに永く。終わらない永い言い訳

その人生が言い訳なのではないかと思えてくるほどに(それはひどいか)。

 

だからこそっていうんですかね。何を大人にまでなってそんなこと言っているのかと。
心狭すぎるし、視野も狭すぎる。自信がないだけならまだしも変にプライドがあったりして
観ていてイライラした主人公でした(笑)。

それにしても、竹原ピストルさん良い味出してました〜。おもしろかった。
子役の子たちも等身大な子どもって感じがいいなと思いました。

ただ、黒木華さんの役だけは後味悪すぎますね。一生消えないトラウマのようになってしまって…。

ところで、上記の方々も素晴らしかったのですが、個人的には
出演は多くありませんが、池松壮亮さんの役どころがとても印象的でした。特に印象に残ったのが、
「クズ人生送ってきた男が子育てするって免罪符みたいなもの」的な言葉。
実際に池松さんの役に似た人を知ってるのもあって。男だけでもないんですけどね、
フルバの今日子さんも言ってたように女にも当てはまる部分もあるというか。
結婚以上に、子育てになった瞬間に人ってこれまでを改めようと変わるものなのだと。
(変わらない残念なことも多いですが。)

小説も気になったんですけど、さらっと結末先に読んだら
これは読まないでおこう(笑)と思いましたので読みません。

 

観ていて所々で、ぞっとしたりしました。生死の話や家族の話だったり遠からず我が身にもありそうで。
言い訳にならないような人生を送ろう、と何度も思いました。

 

おわり。