映画とアニメと。

映画・アニメの紹介とか感想。映画もアニメもどこかで誰かが作品を通して何かと繋がる力があると思ってます。

『ノーゲーム・ノーライフ ゼロ』:ノーノゲノラ・ノーライフ

タイトルでゲシュタルト崩壊来てます!

page.23

ノーゲーム・ノーライフ ゼロ』(2017年/いしづかあつこ監督)

前回からまた期間が空きすぎている…ひどい。でもそもそも外であまり見なくなったというか。
観たい映画が近所やっていないし遠出したくもないのでこれからはDVDでも見たら書かないとなー。

というのはさておき!
前売り券買うほどには楽しみにしていた、ノゲノラゼロついにキター!!!!
(公開初日に観たのにもう月変わっちゃってるよ)

本作をおすすめしたいけど、そもそもノーゲーム・ノーライフをご存知ですか?
という話だと思うんです。いや、真面目に。だって映画の”ゼロ”の意味。過去編ですから。
なので、ノゲノラのおもしろさ、ファンタジー小説の映像化のおもしろさを知ってほしい!というのが先に来ます。

では、ノーゲーム・ノーライフとは・・・・・・・・・・
ゲームで全てを手にする世界を舞台に繰り広げられる、最強ゲーマー兄妹の異世界えろライフ

ニートひきこもりゲーマー兄妹がゲームで世界を変える異世界ファンタジー!(微えろ)

原作・イラスト 榎宮祐 による日本のライトノベルです。
キャッチコピーは原作も映画も、”さぁ、ゲームをはじめよう。”
以下
、あらすじをアニメ公式サイトより。

ニートでヒキコモリ……だがネット上では『  』(くうはく)の名で無敗を誇る天才ゲーマー兄妹・空と白。ただの都市伝説とまで言われるほどの常識はずれな腕前を持った空と白の前に”神”を名乗る少年・テトが現れる。
テトはリアルをクソゲーと呼ぶ空と白の二人を異世界へと召喚してしまう。そこは一切の争いが禁じられ、全てがゲームで決まる世界だった!異世界に住まう十六の種族の中で最弱の人類種。他種族に国土の大部分を奪われ、滅亡寸前に追い込まれている人類種を救うため、空と白は空前絶後の頭脳バトルに挑む!

 

アニメ化の時は多忙に多忙を重ねていたのでタイトルは知っていてもリアタイしてないので
再放送の時に全部見た者ですがご了承ください。
昨年、余裕できて「頭脳戦、心理戦の本読みたいなー」と思っていた時に
出会ったというかたどり着いたというかひきこもりであったが故に導かれた必然というか。
なんにせよ、読み応えがあってあっという間に既刊9巻までは読み終えました。

じゃんけんから駒に命宿るチェス、具象化しりとり、さらに超大規模なゲームまで
あらゆるゲームでブラフ合戦、抜け穴、頭脳戦が繰り広げられるおもしろさ。
そして、命を賭けるほどのゲームに対する熱意、知識と経験をもって挑む、
二人で一人の空と白『  』の戦いっぷりは然り!だがしかし!
元いた世界をクソゲーと言い、異世界では人類を救うことすらもゲームのように考え、
エロにも全力投球の二人のひきこもりダメ人間っぷりが顕著!その真意は計り知れない。

運命すらも変えるゲーム。でも二人にとってはゲームは楽しむもの。楽しくなきゃゲームじゃない。
しかし、たかがゲーム、されどゲーム。最強ゲーマー『  』は真剣そのもの。

その一行がフラグになっている事もある。
読み落としなんてありえませんよ!?

と、こんな感じに言っていますが、正直に言いまして、
個人的にイラストは可愛いと思うけど好みじゃない挿絵もあったり、
エロにエロが重なって耐えきれず読むスピードが落ちる事もあります。
でも、ちゃんと読んでます。絶対ここ飛ばしても問題ないだろって思うけど読んでます。笑

 

さて、本題。

f:id:yamatoimotyan:20170803142047p:plain©榎宮祐株式会社KADOKAWA刊/ノーゲーム・ノーライフ ゼロ製作委員会
映画『ノーゲーム・ノーライフ ゼロ』 オフィシャルサイト のスクショです。

チラシは機凱種が空を見上げてる感じだったような?
でも公式サイトのこれ。チェスの駒を挟んで左側はジブリール、白、空、ステフ。
では右側は・・・?一番下にいるのは衣装からしてジブリールか…?顔が悪役っぽい…。
この対比、関係性がどこまであるのか。(どれが誰だか全部知ってるけど)凝ってますねえ!

監督・脚本にはアニメ制作からそのまま。キャラデザも音楽も含め世界観は下ネタ含め踏襲されています!
混んでるけど予約しなくても行けると思ったけどとんでもなかったです。
劇場も限られているにせよ、満員御礼。中学生くらいから大人までいましたね。

シリーズもの特有に感じる「あ、この空間にいる人はみんな仲間だ」の凄み。

そして映画『ノーゲーム・ノーライフ ゼロ』とは、アニメ化された部分よりも後に発刊された6巻、
ただ時系列としては、ゲームで全てが決まる世界、が出来る前、始まりの始まり、6000年前の”大戦”を描いています。
なぜ今の世界が出来たのか。すべてはここから始まった物語。
映画では、それまで何度も作中に出てきた”大戦”の事実を知る事になります。

前述の通り、要は過去編です。
なので
はっきり言って、”ゼロ”ということで、原作ファンがメイン層、次にアニメファンです。
個人的に過去編というのは、長い連載が故に盛り込まざるを得なくなったと勘ぐることもあるし、
嬉しい場合もあれば、無くても良いときもあって、読者が離れる賭けのような部分もあると思います。

ぶっちゃけ映画化となった原作6巻は、初めて読むスピードが落ちるという序盤だったんですけど、
キーマンとなる機凱種との出会いから一気に読み進めてしまうという、決して展開が早くなったのではなく
丁寧に描きながらその後の世界観に繋がっていく過程がおもしろすぎました!!!!
そういうことかあああ!という驚愕。まだ幼いいづなたんに語っているからこそ見える
空と白、ステフ、ジブリール、いづなたんetc...の種族を超えた関係性。

それを映画にまとめ上げたわけなんですが、2時間だから端折られているところももちろんありますが
見所の部分はちゃんと映像化されているし、見応え十分で、笑って、泣いた。
本当に涙腺ゆるくなってきて原作でも泣いてるくらい展開知ってるんだけど、
結局映画でも号泣してしまうくらいに1巻分ちゃんと盛り込まれていました。

小説ではイラストでも出てきてない妖魔種や、地精種も映ったかな?まずそこに引き込まれ、
大戦が故に切っても切り離せない戦闘シーンは、圧巻の一言!!!!
ラノベだからなんだそれ!そんな読み方すんの!?みたいな名称が山ほど出てくるんですけど、
それが形になって映像化されたときの迫力は最高です!!!!

アニメ版だけとって観てもおもしろさは変わりません。回収された過去、そして新キャラ続々登場の今回。
この時点ではまだ空達の前に現れていないが大戦のキーマンとなった機凱種とはその後どう関連付けられていくのか。 
展開が楽しみですね。アニメ2期やるのかは知りませんが。

あ!忘れてはいけない。
原作ファンはご存知、アニメファンでは初登場のアインツィヒとアズリール。
声優情報を入れてなくて、メイン組は予想しやすいというか当然という人でしたが、
他の新キャラの豪華声優陣にも驚いたけどこの二人は出てきたとき、そうきたか!と笑ってしまった(褒めてます)。

 

ゲームで世界が決まるなんて所詮ファンタジーなんですけど、
そこで描かれる事って結構深い部分があると思ってます。
人類種として一括りにされてる世界だけど、現実は違いますよね。
力、経済の格差など同じ人類でも人種の違いで争い合っているのは重なる部分があります。
それが他種族という表現なだけで。
現実もゲームとまではいかないまでも、争いが禁じらている世界は理想。
十の盟約にもある「みんな仲良く」というのは学ぶべき部分。

そして短期間でもひきこもった私にはわかる空と白の他人と接触することの怖さ。
(二人の超人的頭の良さ、回転さはもちろんわからない)
人目を気にするバカらしさ反面、やっぱり臆病になってしまう自分。
現実はうまくいかないからこそ、ゲームで全てを決する世界で、
ニートでひきこもりでコミュ障が様々な種族と出会って世界を変えていく姿は
リアルとは真逆すぎて、それが惹きつけられる要因なのかもしれない。

…なんて言ったけどそんなに高尚な小説じゃないか。笑
ニートでひきこもりでコミュ障がみんなで仲良くゲームしたい姿が、エロさを忘れないばかばかしさが、
シリアスとのギャップを織り交ぜたその単純さがおもしろいだけかも。

 

とはいえ、ゲームも、世界観も、よく練られている作品で、どうしたら思いつくんだろうと感心します。
ラノベと言っても多種多様。私はノゲノラと出会えてとても嬉しいです!

もし、原作でもアニメでもノゲノラと出会ってくれたのなら、
ぜひとも『ノーゲーム・ノーライフ ゼロ』観てください。

 

 

榎宮さん!原作続き、待ってます!!!!

 

 

おわり。

LION25年目のから紅の恋歌〜美女と野獣〜

page.22

 

いつのだよ!っていうもう7月なのにね、はい。 

 

『LION ライオン 〜25年目のただいま〜 』

幼い頃に迷子になったまま家族と離れ離れになった男性が25年の時を越えて自分のルーツを探し出した実話。
GoogleMapを駆使したPC内の旅に希望と挫折を繰り返した果てに待つ感動の再会と、
フィクションではないインドの社会問題に涙以上に衝撃の連続だった。
結末がわかっていながらも迷子になってしまったことや、探し出すきっかけと方法など
見所は絶えなかったと思います。

 

名探偵コナン から紅の恋歌

京都を舞台に平次と和葉がメインの数年に一本あるラブストーリー仕立てはともかく、
推理よりもアクションメインだったのがちょっとかなしい。アクロバティックすぎる…。
少しだけど百人一首の競技だけじゃなくて歌にも意味をもたせてるのは良かった。

 

美女と野獣

エマ・ワトソンのが大作に帰ってきました!コルセットをつけずに披露したベル。
まさに美女で、でも綺麗だけじゃなくて自分の見たものを信じる溢れんばかりの優しさと強さも
もっていて本当に美しかった!!!!そんな泣けるか?って宣伝もわからなくはなかった。
あと少しで届かなかったバラの魔法と消されてしまった記憶が蘇ったとこまでの
じわーーーーーっとくる感じ。ちょっとうるっとした。
で、映画だなあ!って思ったのはやはりダンスシーン☆カメラワークとベルの衣装とダンスと曲が
すべて合わさったあの瞬間は夢のような一瞬でした!

 

 

とりあえず、ざっくり感想で締めます・・・

 

 

おわり。

あしたのパスタはアルデンテ:映画天国LGBT映画祭 その1

page.21

『あしたのパスタはアルデンテ』(2010年/フェルザン・オズペテク監督)

簡単に言うと、映画天国という番組が今月は世界的なLGBT月間という事で
映画天国LGBT映画祭”をするぞ!→せっかくの機会を無下にしてはならないな!
とまあ、そのコンセプトに大変興味を注がれまして、乗っかってみましたというのが今回です。
それとともに、映画天国の宣伝ではないけど、便乗させて頂きましてもしこの記事が拾われて少しでも広まって

LGBTに関する映画を見てみようと思ってくれる人がいたらいいな、
むしろぜひ見てほしいって話です!

さて最近ではLGBTという言葉も珍しくはなくなってきておりますが、
LGBTとは、さてどういった事か念のため表記しておきます。
L(Lesbian)G(Gay)B(Bisexual)T(Transgender)の頭文字
です。最近では確か先週だったかなぁ、Google検索のデザインがレインボーフラッグを模したもので調べてみたら
レインボーフラッグをデザインをされたギルバート・ベイカー氏の生誕された日だったと記憶してます。
残念ながら彼は今年の3月末に他界されました。
そのレインボーフラッグは1978年6月25日にサンフランシスコで生まれたそうです。
正式に6月がLGBT月間になったのは2014年にアメリカの前大統領バラク・オバマ氏がそう宣言されたからだったり、
正直詳しくないので細部は語れないですが、今年のアカデミー賞作品賞に『ムーンライト』が選ばれたり、
日々の中でも目にする事が多くなってきて理解を深めるには絶好の機会だと思います。

そしてその映画天国が掲げるLGBT映画祭の口火を切ったのが『あしたのパスタはアルデンテ』
2010年に公開されたイタリア映画です。
邦題は主人公の実家がパスタ工場を経営しているのと人間関係も歯ごたえある方が
ってところなのかは知りませんが、原題はMine Vaganti、英題はLoose Cannonsとなっています。
さらに直訳すると縛られてない、縄から離れている大砲。それが転じて
”予測不能”、”何かをしでかす人”
という使い方がされているというところまで行き着ければ、
あらすじと照らし合わせても合わせずとも何かが巻き起こりそうな、ひと騒動ありそうな感じがします。
邦題ほどほのぼのしているようでしていない、でも、戸惑いながらも家族の関係を見直して自分の生き方を考える
ハートフルコメディ感は出ているかなと思わなくもないです。

・・・・・・下記ネタバレあります。

-----あらすじ-----

パスタ会社社長の息子トンマーゾは、家族には経営学部と偽って文学部を卒業し、小説を執筆していた。さらに大きな秘密を抱える彼は、長兄のアントニオが新社長に就任する食事会でそのことを告白しようとした矢先、兄が驚がくの秘密を発表。トンマーゾは何も言い出せないまま、兄の代わりに会社の経営を任されてしまい……。

保守的な価値観が残る町でパスタ会社を営む一家の長男が、ある重大な秘密を告白したことから巻き起こる大騒動の行方を描いたハートフル・コメディー。

家族に勘当される覚悟で一大決心したトンマーゾを中心に、自分も知らない尊敬する兄の本当の姿と、
家族の本音、愛すべきものはいったい何であるのか、そして自分自身とも向き合っていきます。

言ってしまうと兄も実はゲイだった!!!!と暴露して家を出てしまうというところから
物語は進んでいくわけなのですが、ここから同じ家族でも様々な関係性と構図が見えてくるのが興味深いし、
なんと言ってもゲイ発言の後からノンストップでところどころに撒き散らされる、笑わずにはいられないコントのようだったり
とにかくコメディ感が一気に強くなるのが特徴的な映画。それは決して同性愛を笑っているわけではありません。
コメディのなかに人目を気にしてばかりで個人を見ない、かと言って自分勝手に物事を決めつけるという事が
どれだけ無益かという事がはっきり描かれていました。

そのコメディ色が私が大好きなウェス・アンダーソンの世界観に似ているからさらに楽しい。

少しズレますがLGBTと日本のメディア(特にエンタメ)に関する記事をこの映画を見た後に読んで、
要約すると「ゲイである人はみんな女性らしい方ばかりではない。筋肉隆々の人もいる。
テレビで取り上げられているのはほんの一部だ」とありました。確かにその通りだし、むしろLGBTの認識が生まれない。

なぜこの話を挟んだかというと、この映画に出てくるトンマーゾも友人たちもアントニオも、
みんな見た目では分からないほど見た目はジェンダー的には男性だからです。
それは、友人たちがトンマーゾの家に遊びに来ても家族は全く気づいてない描写でよくわかります。

また、ゲイの話で少し隠れがちですが、
トンマーゾとアントニオの父親は息子の暴露で体調を崩して入院するも入院先で実は妻とは別の女性と密会していたり、
父親の妹(つまり叔母)さんはアル中で禁酒されてるのに隠れて飲んだり自由奔放なところあるし、
混乱する家族の仲でなんとか平静を保ち町の目を気にしていたトンマーゾの母親も我慢の限界が来て吹っ切れたように
町の人へも面と向かって皮肉を言う(メス豚と言われてドブネズミと返すセンス!)等々、
他にも家族はいるわけですがゲイだけじゃなくて家族もみんな本音じゃないところばかり!

そこに達観したように見守るのが、おばあちゃん。おばあちゃんなのです!!!
糖尿病かな?甘いものを禁止されて家から出るのにも許可がいるようななんだか文章で書くと軟禁されてるような生活。
だけど、すれ違っていく家族を繋ぎ止める役割をしたおばあちゃんの名言が凄まじく心に響いてくる。
「遅れてるのはあなたの頭よ」
「叶わない愛は終わらない。永遠に続くものよ。」
「紳士は怠け者より早く起きるのよ」
最初は理解するのに難しい言葉のようでひとつひとつに深みがあって、言われた本人は無自覚でも頭に響いている。
おばあちゃんもまた家族には隠していた秘密があり、孫がカミングアウトした事をきっかけに自分の人生に目を向け直す。
そして、最期、おめかしして思う存分にケーキを頬張って…。幸せそうでしたよ。

おばあちゃんのお葬式にアントニオが帰ってきます。父親とのわだかまりがすぐ解けるわけではなく、
でも少しは家族に戻れたかな、これから少しずつ理解していこうという余韻を残して家族の幕は閉じてしまいますが、
そこへ冒頭から続くウエディングドレス姿の女性と礼装をまとった男性が町を駆ける幸せそうなシーンも
同時にクライマックスへと向かいます。

この2人がどれほどキーパーソンであったのか。なんとなく想像はついていても
劇中でおばあちゃんは実は結婚した夫の弟を愛していたとトンマーゾに話すのですが、
ここではっきり繋がるわけですね。
ウエディングドレス姿の女性は昔のおばあちゃん。一緒にいた男性が夫の弟。

葬式の列の横を時を越えたかのようにその2人が駆け抜けていきます。
今思えば、孫が家を継ぐという事に対して出した決断と、
自分の生きたい道を生きていくおばあちゃんの心が重なった瞬間だったのかな。
でもおばあちゃんの行き着く先は実際は、夫になる男性が待つ式場で。
笑顔で見送るのは愛した弟で。

歩みたかった人生があったおばあちゃんが残した「自分の人生を歩みなさい」
というメッセージを強調するシーンだったと思います。

エンディングのカメラワークこれがまたおもしろい。
おばあちゃんの結婚式場で踊るゲストたちに混じり、今お葬式してたよね!?という面々が
一緒に踊り始めているではありませんか!!!それも相手は必ずしも決まったパートナーではなかったり、
アントニオと父親は隣に立って少し不器用な笑顔だけどお葬式の時よりも距離は縮まったような。
トンマーゾは一人遠くからみんなを眺めていたり。
自分勝手に生きる事と自分の生きたい道を歩むというのは似ているけどイコールではないのだと思いました。

 

LGBTというテーマで確かに取り上げられた映画ではあったけれど、映画を見て思ったのは、
自分の生きたい道について悩む事も周りの目を気にして個人を見ようとしない事にも
性なんて関係ないって事。
でも、家族でさえ言われないと分からないくらい街行くなかにもそういう人はいて、
それを表に出せる人と、抱え込んでいる人がいるということ。

幸いというのか、私はこれまでの人生でLGBTに含まれる友人がいましたし、
まったく見知らぬ方に唐突にカミングアウトされてお話を聞くという機会がありました。
後者はまあ置いておくとして、前者はそうかもなと思ってたりしてたのでカミングアウトされても
その後私たちの友人としての関係に変わりはなく、当時は学んでいた分野に関係もあったからか
周囲の理解もあった学生時代であったと私は思っています。

 

かといってそれが当たり前の世の中ではないという事も現実にはあるのです。
そういうのも含めた映画が今月まだ続きます。
映画天国って平日深夜でつらいところですが、せっかくなので見たいと思います。

 

 

おわり。

GHOST IN THE SHELL:逆輸入の金字塔!

page.20

 『GHOST IN THE SHELL』(2017年/ルパート・サンダース監督)

2017年注目の一作がついに公開!
待ち遠しかった。

最初は実写という話は不安でしかなかったけれど、
光学迷彩の制作動画や予告を見たときに世界観を丁寧に描こうとしているのが
とても伝わってきて、技術的にもこれは観るしかないと決めていました。
日本で実写してくれなくて良かったです!!!!
侍系アクションものはまだしもこの世界観を描けるとは思えない。
描こうとはしても「こういうのがいいんでしょ」という雰囲気で来そうで。
コミック主体なので容姿が問われるのは分かるけれど
無理して話題集めようとして配役してコスプレすれば良いだろ感も私は好きじゃありませんし。

撮影場所も個人的な希望する世界観にマッチしていて怪しさや雑踏な雰囲気ばっちり。
近未来感が技術の向上でどんどん進んでいるのも魅力的でした。

さておき。

素子という名前でスカヨハを見てしまうと???が否めない瞬間もありましたが、
紆余曲折あった人生で何が正解かわからない(自分が自分であることが真実)
からスパッと考えないことにしました。

あとは内容、軸となる部分。
押井守版のアニメから入っていた私としてはそもそもアニメから難しいなとは思いつつ、
それでもただの近未来アクションではなく、キャラクターも好きだけど、
一つ一つの事件に訴えるものーー社会規範や道徳、倫理、生きることなどーーが
あるところが好きなので短い時間でどう解釈していくのかという楽しみがありました。

そして、その結果は・・・・・

素子の心情とともに綺麗にまとまってる!!!!

というか今まで難しく考えすぎてた。至ってシンプルな話だった!!!

GHOST IN THE SHELLの意味と、そこに込められた自己の存在と生きること。

新たな発見、ワクワクさを頂きました。

 

そういった中で今回取り上げて述べておきたい事、というか2人。

桃井かおり、そして北野武(敬称略)
ハリウッド映画として実写化された部分に出演する日本人の存在感が
どう作用してくるのかという部分が気になっておりました。

桃井かおりさんの登場シーンは多くはありませんが、とはいえキーマンにもなる人物。
これは日本人の自分だから、より強く感情移入できてしまったのかもしれないです。
草薙素子という人物について言及されるのは唯一このシーンだけ(だったはず)。
そもそもスカーレット・ヨハンソンの役はミラという公安屈指の捜査官。
もちろん攻殻機動隊なので草薙素子だろ!って感じですが素子であって素子じゃないというはじまり。
監督も草薙素子という女性は日本人であるという話だからまあわかります。
いちいち伏線めいた考えたくもない部分を考えたくないですから。笑
少佐と呼ばれ任務をこなしてきたミラが自分のゴースト(=魂)について疑問を抱く内にたどり着く先が、
草薙素子と謎の女性、そしてその関係性。

なぜ自分(=ミラ)は桃井かおりの元に導かれたのか。
自分の出生と合致しない記憶が結ばれていきます。

むしろ、桃井かおりの出現と、素子を日本人じゃなくてスカーレット・ヨハンソンがやったことで
理解しやすくなった感じもありました。
過去が曖昧な自分、自分はどこの誰で、どう生きてきたのか、果たして自分は何者なのかが主軸となる中で、
まるで人間のような人間ではない機械や、機械化?サイボーク化?してく人間もいる世界で逆に
昔とは違う自分を実感しながらも「自分を知る」「過去と記憶が作る自分」という自己と向き合うミラの姿が
鮮明に感じられました。

アメリカ他、海外の方々はこの場面をどう見たのでしょうか。

私は桃井かおりさんの優しい眼差しと語りにとても懐かしいというか温かい気持ちを感じましたよ?

 

そしてビートたけし

最初から最後まで日本語で通すという一貫性ある演技。
絶対否定的な意見を持っている人いるだろうな!笑
私も最初はなんだか気が抜ける感じだったけれども、
日常的に英語も日本語も話す友達がいて、英語で話しかけたら日本語で返ってきたり
その逆もあるのでそんな感じだろうなって聞いてました。
コミュニケーションできてるんだからいいじゃん。
かといって、実際はたけしさんが下手な英語話したくない云々だったりするらしいし、
それがうまく近未来システムの成果に繋がっているような解釈だったり、
ミラや他の登場人物との信頼関係やなんかがあるから成り立つとか独自解釈にも至るから
映画だけじゃないけど見る側にとってはつらいところであると思います。

でも逆に英語と日本語が混ざった会話だからこそ、
ついでに日本語部分は字幕ありだったからこそ、
日本語独特の言い回しなんかもわかって楽しかったです。
同じ単語なのに表現の仕方は幾重にも広がっていて、単語自体はもう忘れましたが、
日本語の良さがわかってラッキーだとさえ思っています。

銃撃戦はアウトレイジやってるだけあるというかさすがというか。
超人たちの対決のなかで荒巻は銃で蹴散らすのが輝いて見えたしかっこよかった。

 

吹き替えはアニメver.から引き継いでるなどこちらも見たかった。
レンタルしよう。

PSYCHO-PASSまで実写化したらどうしようという懸念も生まれてしまって
そわそわしてたり。

 

 

 

おわり。

 

更新がんばる。がんばりたい・・・

 

 

 

ひるね姫:日常ほのぼの系じゃないからね!

page.19

ひるね姫〜わたしの知らない物語〜』(2017年/神山健治監督)

予告見た私:神山健治が日常(ちょいファンタジー)系!??
これはおもしろいに決まっている!!!

というわけで鑑賞完了。

だれだよ!日常系って言ったの!(答:自分)
これは神山健治作品です間違いないです。

夢と現実がリンクして展開していく物語。
そして”ここね”だけではなくその両親、そして家族の物語。
なぜ父親は母親を語らないのか。
母親はどんな人物だったのか。
父親が守ってきたものとはなんなのか。

夢というのは、やろうと思えばコントロールができるという説があり、
私も「これは夢だ」と夢の中で意識できることがあります。ほんとだよ。
さすがに現実とリンクするわけはないんですけれども。
でも夢という非現実的な、ある種、妄想のような事柄を通してなお現実を生きていくというのは
とてもおもしろく、かつその中で紐解かれる18年(くらいかな?)間。

 

なんとなく展開が読める物語ってあるじゃないですか。
これは、あーきっとこんな感じだな、こうなるのかな、というのは見ていて思うんだけれど、
それでもつまらなくないのは「その展開きたら胸熱!」があって、
夢のなかで冒険するここねを見てるとわくわくするし夢の中の無敵さがかっこいい。
そして「その展開は感動的だけど悲しすぎる」から。
当たってほしい予想と当たってしまうのがせつない複雑さで余計に引き込まれました。

 

新しいものを受け入れられない親と時代の先を行く娘という妙に現実的ななかで、
ちょっと近未来的な世界とファンタジー要素をもってくるなんて贅沢。
別に無理やりリアリティを追い求めすぎなくてもファンタジーも加えて
そこで何が描かれているのかを伝えるというのも良いと思っている私にはどストライクでした。

そしてエンディング。

立つものはいないだろうなさすがに。

高畑充希さんのカバーよかったですよ。
原曲はもっと古いけど、歌詞は忌野清志郎さんver.をカバーされてましたね。

某コンビニでも有名な『デイ・ドリーム・ビリーバー』。
本来の歌詞の意味するところとはEDで描かれるストーリーとは異なりますが、
本編はしんみりだったのにEDで大号泣しました。

でも観終わった後の感想が完全に

デイ・ドリーム・ビリーバー(私的意訳は”白昼夢”)
に尽きる。本編は布石かと。

 

まあそれでも少し靄がかかった家族の秘密を知って、切れてしまった繋がり…
大げさかもしれないけど絆をもう一度結び直して家族になる心温まる優しい話でした。

 

 

 

 

 

ていうと、なんだそのベタベタな感動物語は!と自分でも思うので、
最後は純粋に本当に率直に思った印象を述べて終わります。

ん?カリオストロエヴァナウシカ

ロボットバトルアクションときどき日常系です!

 

 

一番大活躍してたのはモリオだよ!モリオがいなかったら寝て終わりだったよ!

 

 

終わり。

 

ラ・ラ・ランド:語ることのない夢物語

page.18

ラ・ラ・ランド』(2016年/デイミアン・チャゼル監督)

夢追い人とつけようかと思って調べたら、
空想にふけるという言葉があって安易につけたくないなあなんて思いもして、
あながち間違ってもないとも思うも止めました。

 

単純に夢見がちな2人でもなく、
ただ、現実をすぐに受け入れられない諦めの悪さもあり、
その悪あがきさがとても気に入りました。

 

アカデミー賞最多受賞と共に、珍事が起こったり等、話題騒然の作品でしたね。
今年はアカデミー賞作品巡りを映画館で出来そうにないですが、まず1作品『ラ・ラ・ランド』!

正直、私はミュージカル映画は得意ではありません(笑)。
それこそ『レ・ミゼラブル』(2012年)に魅了されてから苦手意識が薄くなりました。
今となっては、何故観に行こうかと思ったのか思い出せません。
予告思い出せないし、チラシの印象が強かったからでしょうか。
前評判でミュージカルミュージカルミュージカル…とあまりにも言ってるから
「実はたいしてミュージカルじゃないのではないか」などと思っては行きました。

って、

がっつりミュージカルじゃん!

冒頭から強烈なミュージカル映画で2時間耐えられるか心配でした。
と、言いつつ縁あってリピート鑑賞してます(笑)。
ミュージカル映画の中でも『ウエストサイド・ストーリー』に近さを感じました。

 

中盤、良い意味でミュージカル映画だと忘れる時間もあり、
トーリーの波と歌の入れどころが終わってみれば最高でした。
というか、ただの恋愛映画でもなく、シンプルにハッピーエンドにならないこの終わり方が好きです。
何もかも手に入れた2人なら祝福できなかったかな。

だからこそ、友達にも薦めて。そしたら一緒に2回目行っちゃってました。
たまには友達と観たいとも思ったし、本作の感想を語れる相手がほしかったし。

2回目・・・・
冒頭の歌も心地よくて、中盤の「City of stars」がさらに好きになって、
終盤の”もしかしたらあった未来”を廻るように描いた演出がボルテージを上げ、
終わってみればサントラ衝動買いしよ!(してない)ってくらい好きな映画になってました。

 

ロサンゼルスが舞台なのもいいですね。映画の聖地・ハリウッドだけじゃなくて、
セブのような人も含めてニューヨークとはまた違う誰もが夢を追いかけられる場所。

ただ、追いかけられるのと叶えられるのは別物です。

 

夢を持てる人。
夢を追いかけられる人。

 

一緒に夢を追える人。
夢を応援してくれる人。

 

諦めて現実を見るだけの人。
現実も見て最後には夢を掴む人。

 

簡単と言うと語弊があるかもしれませんが、
大人になってからも何も上手くいかないと引き際を考えてしまいます。
夢だけを追えるのなら追っていたい。
でも夢だけ追えるのが人生でもない。
成功者は一握りだったりもします。

 

自分の夢を追い続けた先で愛した人と人生が交わる夢物語があっても良かった、

かもしれないけど、

お互いの夢への想いを分かってるからこそ背中を押し合って別れるという
最善の選択をとった人生の方が実はロマンチックだったりもするものです。

 

あなたがいなければ夢が夢で終わっていた、かもしれない。

あなたがいなくても夢は叶ってた、かもしれない。

でも、、、

あなたがいたから夢を諦めずに進めた。

あなたがいたから今の自分がいる。

 

相手の輝きを喜び、ずっと応援してくれる存在って大きいのだと思いました。
それと、チャンスを逃さないって大事なんだなと(ブーメラン)。

 

 

 

鑑賞してから1〜2か月経っても曲が頭で流れてくるほど、
ジャズの独特なテンポに踊りだしたくなっちゃうほど、好きみたい。

 

おわり。

素晴らしきかな、人生:あなたの幸せのオマケはなんですか?

page.17

『素晴らしきかな、人生』(2016年/デビット・フランケル監督)

原題がCollateral Beauty...

Collateral:付帯的な、二次的な

この意味が示すものはいったい…。先の方で独自解釈してます。
ていうか邦題が秀逸。

 

ローリングストーン誌ではワースト映画を選んだ例の記事で3位ではありますが
まあローリングストーン誌だし気にしないで見てほしい作品。
ただお涙頂戴というのはわからなくもないし、わかっていて行ったのもあります。
あからさまなお涙頂戴映画は好まないのですが、これは悲しい映画ではない、
むしろ別れを受け止め、乗り越え、今を生きる希望を見出す物語。

主人公の前に突如として現れる擬人化(が正しいかなあ?)した抽象概念たち。
死 時間 愛
それは主人公が人生において大切なものと位置づけた概念でもあったのです。
概念とはいえ字だけ見ても本当になんてアバウトな存在なんでしょうね。
なんだかファンタジックな作品に見えるのですが、、、というか私がそう思ってたのですが、実は、
心を閉ざしてしまった主人公を引き戻すため優しさが作った現実世界であり、
同時に、友のためにも現実を突きつける…苦渋の決断の結果作られた世界でもあるのです。
すべては彼に現実を受け止め、彼の人生を生きてほしいから・・・。

そして彼もまた徐々に歩みを進めようと踏み出します。

主人公も友人も概念と呼ばれる者たちも、誰かが誰かを思う気持ちで出来た映画。

ベタだっていいと思います。
それぞれが出会った「死」「時間」「愛」は避けられないもので、
主人公が言うように人生で必要不可欠なものなのでしょう。
一度は手放そうとしたものかもしれないし、手放したかもしれない。
今わからなくてもこれからわかるかもしれないそんなもの。
形も大きさも人によって変わるものでも無視できないものを温かく教えてくれる、
見た後にちょっとほっこりしちゃう物語でした。

特に印象に残ったのが主人公ハワードを演じたウィル・スミスの表情。
彼が訴えてくる感情が胸に響いてくる。
言おうにも出てこない言葉の重みや、何をしても埋まらない喪失感、
話そうとするだけで涙が出そうになる感じをその目、口元ですべて表していました。

そしてドミノ。

ドミノ倒しのドミノ。

ドミノへの熱中が彼をどれほど変人かと思わせるか、
積んだところで倒すというドミノのやるせなさなどありますが、
途中倒れたらまた並べて積んで形をつくって倒して完成への過程が
再び立ち上がっていこうという比喩にもなってるんじゃないかなーーーーーー(持論)。

最後に。同じ境遇に遭ったマデリンが言う”幸せのオマケ”とはなんでしょうね。
愛する人を亡くしてなお幸せと言えるのか。そのオマケは愛する人を亡くさなければ手に入らないのか。
このオマケって可愛く言ってますが、原題にありましたね、
<Collateral:付帯的な、二次的>これ。
亡くした人が残してくれたもの、無くなったものとそれでも無くならなかったもの。
これが幸せ!というものじゃなくて、ほんの少し見方を変えることで
今まで気付かなかったちょっとした幸せが見えてくる。それがオマケってことなのかなと思います。

あ。あのマデリンが会ったというおばあさん、いったい何者なのかなあ。
どこからどこまでが本当なんだろうって深追いせず、曖昧にしておくのもまた一興。

 

わたしの幸せのオマケはこれから見つけます^^
あなたの幸せのオマケはなにかしら?

 

 

 

以降ネタバレあり!!!!!!!!

 

 

 

 

 

ナオミ・ハリス演じるマデリン 。
最初は二人が同じ境遇で少しずつ惹かれあっていくのかなとか思っててすみませんでした。
ものすっごく全てが繋がって震えた。泣いた。
それにハワードが見ている以上に悲しみのなかにいたことに気づいた。また泣いた。
冒頭から時折出てくる娘との映像が再生されてるのを見て、
「娘の名前は?」「どうして亡くなったの?」「他人に戻れたら…の手紙」
すべてがこの瞬間のためにあって、マデリンもずっと待っていて、胸が締め付けられました。

そして、友人たち。キャスティング最高です。
エドワード・ノートンケイト・ウィンスレットマイケル・ペーニャ
仕事仲間として、それ以前に友人として自分たちが出来ること。したこと。
か ら の !!!!
ハワードが彼らに感謝を述べながら伝えた想い。
彼はすべて知っていた。彼らが悩んでいたことを。そして望む彼らの幸せ。
まずここで涙腺は崩壊してましたねえ・・・。

何かに絶望しかけたとき、人生に少し疲れてしまったとき、
幸せのオマケを探しにいきましょう。

 

 

おわり。