読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

映画とアニメのその先へ。

映画・アニメの紹介と感想。作品のその先で、どこかで誰かが何かと繋がるのを期待して。

君の名は。:(その2)さらば新海。〜手放しに喜べない意地と寂しさ

page.5

君の名は。』(2016年/新海誠

 タイトルにある通りです。私が知っていた新海作品はどこかへ消えてしまった。何を知っていたのか、と自分でも思う。私の中でもう見切りをつけたので、その理由を含めてつらつら書きます。

 初見は、自分の感覚がおかしいのかと思いました。「ふーん」くらいだったな。おもしろくなかったわけじゃない、かといって傑作ではないだろうと。でも、やっぱり私はこの映画をオススメはすれどそれは普段アニメを見ないような人たちにであって、少数派であってもいいと思いました。
よって、この記事ではほぼ褒めてません。褒めるようなところも…。
イライラする人もいるでしょう。それでもよければお読みください。
ネタバレあります。

 「この映画に文句言うのはキモオタ」とか、「好きになれないのは新海作品を知らない」とか色々な事がネットでは言われてますね。キモオタの否定は出来ないけれど、新海作品はすべて見てるし、たぶんそう言う人よりもアニメ見てます。ただ、アニメを見すぎた故に、映画を見てきた故に、たぶん楽しめなかったのもひとつあったと思う。邪推というかね。純粋に見れたとしてもどうかな…。

さて、個人的評価が低い理由。

タイムパラドックスが気になりすぎた(後々”結び”で説明がついたが。)
  →3年の時差、瀧が組紐を三葉に渡してしまったら3年後の瀧くんは
   本来持っていない事になってしまう。組紐を通して繋がった世界はどこへ?と云々
書くと、
   その後、持っていない事になるから忘れるのも当たり前なのか。
   でもどうしても思考が行ったり来たりしてしまう。最終的にはパラレルワールド的な事かと。
   特に2人が重なった空間は
次元を超えているんだろう。というところでやっと
   落ち着きました。ここだけは
”彼れ誰時””誰そ彼時”
   ユキちゃん先生が教えてくれてるのでこの設定だけは好きです^^

・内面がよくわからない
  →いつのまにか落ちているのが恋、時間軸はずれていても相手に代わって相手の人生を
   歩んだ数日間は
長く一緒にいるよりも濃密な時間で恋が芽生える事もきっとある。
   という解釈はできるが、しかし、これまでの新海作品に、私は
   ”狭い世界しか知らない子どもが、葛藤や出会いと別れを経験して大人になる、成長する”
   という感覚を覚えていたのです。猫や庭のように登場人物に大人がいても、なかなか
   前に進む事が出来ない感じを、繊細な背景描写と共に描いていてそれが好きだった。
   (雑誌で、監督はどの作品も否定していますけどね。自分の作りたいものでなかったと。)
   しかし、今回はどうか。三葉と父親の関係はこれまでなら何かしら回収されていただろう。
   瀧くんは、たぶん変化がない(きっと奥底では望んでる)毎日を過ごす青年なのかなあ
   程度であって、きっとそれは合っているんだろうが、立花瀧という人物像が見えるようで
   見えてこない。描ききれていたかといえばそうも思えない、
   描かなくても伝わる表現かと言われても…という中途半端さだった。
・音楽がしつこい
  →話題性は抜群。間違いない。予告でもテンションあがったのは認める。
   しかし蓋を開けてみたら…。4曲もいらなかった。OPも確かに新しさはある。
   あるが、入れ替わりの描写では邪魔臭く、OPもあり既に飽きがきた。
   「スパークル」は挿入歌としては十分に効力を発揮していたように感じるが、
   エンディングがまるで『秒速5センチメートル』への当て付けのよう。
   あの場面で流すのかと…。とにかくBGMにもならない、歌詞あれば入り込みやすい
   というような使い方が好きになれなかった。
   むしろ歌詞あり=4曲の部分を繋いでも物語になりそう。PVを繋いだだけのよう。
   それが陳腐に思えてしまった。これまでもPVと揶揄されてきたけど今回は総決算か。
   【OP→入れ替わり→彗星落ちる→数年後、再会】こんな風に。

   CMに定評があるだけあるわね。

・オマージュだと思えない
  →これが自分が純粋に見れなかった最大の原因かと。オマージュとパクrの紙一重。
   オマージュがあるって言ってるけど私からしたら自分の作品でさえオマージュではなく、
   『君の名は。』でこれまでの作品の粗を昇華させただけのような。
   これいれとけば喜ぶだろ?的な。他作品からのもどっちかというと既視感ばかりで
   その考えが邪魔をする。あなたの表現はどこですか?みたいな。
   今まで確かに背景作画が良いと言ってきたけど”背景だけ”に成り下がってしまった…。
   事実かどうかはさておき、三葉がかけて転ぶところは時かけのような、
   路地裏からの構図は虹色ほたるのような。他にも色々と…見たことありすぎる…。
   まあテレビではほとんど取り上げられないけど、アニメ・映画誌では挙がるほど
   優秀なアニメーターさんたちが関わってるから影響はあったろう。

・過去を全て否定されて出来た事に納得いかない

  →過去作品も含めて、なかったようにする内容が受け入れられなかったのかも。
   何度でも言うけど、映画館でもっと映画を観てほしいと考えている私としては、
   本当に素晴らしい動員を記録してくれたし、日本屈指のアニメーターが参加している作品で
   すごいことだと思ってます。思ってるけど、これが作りたかったものなのか…って感じ。
   大衆受けを目指していたとはいえ、内容があまりにも薄すぎる。
   インタビュー記事も色々読んだけれど、今までの作品は”覚えていない”ような話だった。
   その時その時の必死さかと思ったがそうじゃなかった。クリエイティブな人間にとって、
   それまでの作品が完成されていないといった発言を責めはしないけど、
   公開当時は良い発言?があたり前だけど前のめりな発言があったと記憶している。
   でも今語ると思い入れがさほどないらしい。

   あと震災が云々て言ってる記事あったけど、インタビューで意識してませんて言ってたよ。
     (これだとじゃあ無意識に作れて素晴らしいとか思うのかな?)まあどちらにしても私は
   インタビュー も含めて過去をなかった事にした作品だったと思うよ。
   そりゃ救済という良い結果ではあるけど、そもそも糸守?ってなってたし。忘れてたよね。
     今の若者はこれの方が感動するのかな?運命的な映画としてこれが記憶に残るのかな?

   ふーん。
 
   これまでもジュブナイル小説とか、(信者なので)時かけタイムリープ
   いろんな作品の別れをすべてなかった事にしてる感じと、
   やっぱり何も中身がないような感覚が残ってしまうのよね。
 

映画観ながら”置いていかれる”と思った。

とんでもない世界へ行こうとしている、ついていかなきゃという思いだった。

でも、残ったのは「これが新海誠にとって満身創痍なの…?」という感想のみ。

アニメーターとしての実績と信頼があってこそのスタッフなのは理解しているけれど、

つまんない人になったなと。さらば新海。

(アニメ映画好きだから今後も見ると思うけど、もう過去のような作品は生まれないでしょうね。)

ポスト宮崎駿とかいうメディア大好きな表現が大嫌いなんだけど、
新海さんも細田さんも全然違うと思うのよね。ただ、悪い意味でポスト宮崎駿だわ。
千と千尋あたりでストップした感じが。
細田作品信者だと自負しているので小言ですが、ケモナーと揶揄されている部分はあるものの、
描きたいのって凄く伝わって来る。たぶんリアルだけどリアルすぎず表現しているのが私は好き。
新海作品はリアルさが持ち味でもあったような気がするけど、リアルに近づけようとして、
でも美しくあってほしい世界という現実逃避さが今作は詰まりすぎてたと思いました。

もう悪口にしかならなそうだから止めよう。


おわり。


ちなみに、最後エンディングかかるところの
すれ違い部分は
「また、同じ事してる…」ミスリードさせる気だなと初見から思ってた。
というか序盤で生きてる事は判明しているので、再会させるつもりがある事は
なんとなく想像ついてたんだよね。
あとはどう辻褄合わせて助けていくのかなって観てた。