映画とアニメと。

映画・アニメの紹介とか感想。映画もアニメもどこかで誰かが作品を通して何かと繋がる力があると思ってます。

君の名は。:(番外編)男が前のめりな作品も作れるんだ!

君の名は。

ここまで書かせるとは。話題性に欠かないわ。興収も順調ですね!

 page. 5.5 *番外編*

1か月前にはこの発想に至っているのですが、今改めて書き記しておこうかと。
いろいろと頭の中で考えてるなかで、今作は前作までのオマージュなのか反省なのかがあったりして
じゃあ前回までの主人公たちと比べたらって話をします。
いろんなところで言われてるけど、前回までは割と少年が根暗というかポジティブな感じではないですね。
とか言っておいて今回の話に繋げる人はまだ見ていない。瀧くんに重なりすぎたのかしら。

※各作品ネタバレちらっとあります。

秒速5センチメートルの貴樹は、中学生の頃は会いに行きましたけど、
その後は手紙を書いてもいつの間にか途切れてしまい、引きずるように人生を歩みます。
「会いにいけよ!」って思うのもよくわかります。遠くても日本だし会えないわけじゃないんだよね。
結局引きずって探すように過ごす2人にもどかしくなってしまった印象が強く残ってると思います。

ほしのこえは、なんとも言えない。物理的距離がありすぎる。
あえて言うならば、ノボルの「もしかしたらメールが来るかもしれない」という思いから抜け出せずに
進まない時間を生きてしまっていることが救いようのない部分になるのでしょうか。

雲のむこう、約束の場所は、会いに行くようなものだけど、どちらかというと助けに行くって感じだよね。そこまで前向きな感じはしないのはなんでだろう。記憶曖昧だから見直そう。

言の葉の庭は、夢を追う少年ではありますが、大人になろうとして追いついてない背伸びしてる部分があって、前へ前へ行くほどもがいてるだけに見えたのでやっぱり違うのよね。あれは恋物語だし。

星を追う子ども』は会いに行くようなものですけれど、女の子なので除外してます。猫も。

で、今作ですね。瀧が三葉に伝えたかったこと。

「お前が世界のどこにいても必ず会いに行くって」

に集約されてますね。

入れ替わりでお互いを知り始めて、気になり始めた頃に突然連絡が取れなくなってしまい、
取り憑かれたように糸守の絵を描く瀧くんがそれを持って、確信のない、確信を求める旅に出る。
この時点で既に今までの主人公たちとは一線を画してると思います。
(いろいろ批判もしてるけど、会いに行って現実を知るまでの流れは好きです。)

三葉は彗星が落ちる事は知るよしもなく、また、瀧くんに会いに行きますが、
時代が違う為に彼は気づかず失恋という形で終わってしまいます。そして、瀧くんです。
”瀧くん”は三葉に会いにいく為、糸守を救う為に時を超えて彗星の落ちる前に飛ぶことに成功。
また、父である町長の説得に失敗した後に入れ替わった三葉は御神体の山にいると感じ山を駆ける。
これも会いに行っているのは”瀧くん”。

行動力は三葉の方があるように見えるんだけど、それ故に瀧くんの平坦さがよく伝わる前半。
その前半と相対するように瀧くんが覚醒した感じがよくわかるなあと感心しました。

 

というわけで、ポジティブ男も描けるんだね!大発見!そこは敗北です。



ちなみに、オタクほどたぶん目敏く言う部分かもしれませんけど、
瀧in三葉が自転車で山登るシーンでパンツ見えますよね!
あれ、個人的には「お、細かく入れてくるな〜」って思うし、
大衆向けジブリでもあるので別にそれ自体におかしなところは何もないのですが、
今回の作品からして胸を揉んでたり男女のあれこれはあっても演出的にはあれ無くてもよかったなと。
つまり何が言いたいかというと、 

誰かのフェチだな

って思いました。

 




 終わり。