映画とアニメのその先へ。

映画・アニメの紹介と感想。どこかで誰かが作品を通して何かに繋がると思ってます。

この世界の片隅に:究極の日常かつ、紙一重の世界に私たちはいる。

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この世界の片隅に』/(2016年 片渕須直 監督) 

究極の”日常”。”それでも世界は廻っている”。

クラウドファンディングの映画として始まり、公開規模は小さいながらも
興収ランキングベスト10入りを続けています。
当初の公開館数は、全国63スクリーンとのこと。
テアトル新宿では完売・立ち見続出…これはアニメ版『時をかける少女』のような雰囲気が。

筆者が見た時も朝一ながらほぼ満員でした。
県内でも限られた場所しかやっていないので入れてよかったです。

※まとまりが悪いかもしれないので、後々修正入れるかもです。

さて、この映画は終戦記念ドラマにもなっているわけで、
第二次世界大戦が終わるまでの
広島・呉で過ごす主人公をメインに描かれた戦争中の話。

<戦争中が題材の作品で何を思い浮かべますか?>

お国のために戦う兵士でしょうか。原爆でしょうか。悲惨な光景でしょうか。
戦争×アニメと言えばやはり『火垂るの墓』もあります。
とはいえ、
それぞれ想像するものは異なるとかと思います。
ただ今回は、どのイメージも大概外れそうです(原作を知っている事は抜きに)。

この世界の片隅に』は、戦争中も家族と過ごして暮らす日常もあったことを教えてくれます。
鈴ちゃんの一挙手一投足がおもしろくて、クスクス笑っちゃいます。大半笑ってました。
でも、戦争に無関係というわけではありません。
今まで穏やかに暮らしていた日々にじわりじわりと戦争は影を落としていくのです。
配給も徐々に徐々に減っていき、避難を考え始め…戦争は日常に侵入してきます。
それがこの映画の見どころのひとつだと思っています。
そして、
何事も終わる時は突然やってくる、ということも忘れてはいけませんね…。

流されるままに結婚をし、不慣れな土地でもなんとか生きていく鈴を見守って見ていました。
優しいご両親とは反対に鈴に厳しく当たる義姉ですが、この方の生き方に時代を感じます。
ハイカラ好きで。自立できる女性で。鈴とはまるで正反対。
今でこそ当たり前になってきたことも肩身が狭い思いもしてきているでしょう。
対比したくなるほど重要な人だとも言えます。
ただ、誰もが見ていて、厳しい中に優しさもしっかりある人だということを感じると思います。
「なるようになる」とは良い言葉だと思いますが、生きることはそんなに甘くないんだということ、
自分の意思を持って生きていくこと、を強く受けました。
そのなかで鈴ちゃんののんびりさは健在していて。戦争中であっても、戦争中だからこそ、
笑っていられることの大切さをじーーーーーーーーーーーーーんと噛み締め、
そして一緒に笑いました。

あの8月6日も、実際の証言を元に描かれたということで、
モノクロで見る映像でもなく、映画で見るそれでもない。
光も音も揺れも色も、広島市ではない場所から知ることも必要なんだなと。
だって戦争は、日本各地でそれぞれの形で起こっているのですから。
描かれないような場所でもそこに日常があって、誰かは生きているのです。
生き残った未来を生きているのです。
つらい、苦しい、見えない。それでも生きていく。

そして、これは昭和の話に留まらないと思うのです。
鈴の平々凡々さ。呉の人々。その他大勢。結局大多数はここに集約されるでしょう。
歴史に名を刻まれることは無く、語られることも無い、特別なことは何も無い世界にいる。
自分には降り注がなかっただけであって、悲劇は紙一重のなかに私たちはいる。
でも日本のどこかで、世界のどこかで何かは起こっています。
戦争かもしれないし、災害かもしれない。事故かもしれない。唐突に終わりはやってくる。
それでも世界は回るし、私は生きているし、生活もできている。
納得できないけど条理であって、不変のことでもあったりしてまさに無常。

最初に述べた”究極の日常”と言ったのはこういうことなんですけど。伝わっているのだろうか。


戦争は無くならないとか、無視していいとか言ってないの
で勘違いしないでください。
どれだけ色鮮やかに描かれても、絵のタッチがまるくてもそれが余計に戦争の怖さを思い知ります。


この世界の片隅に」生きていることは、他人事ではありません(自分は違うって思う人もいてもいいけど)。
少なからず、私は片隅にいると思います。運良く日本でのんびり生きてます。
鈴ちゃんはぼーっと生きてきて、「私はここよ」とアピールしているわけでもなく
何も変わらない日々にいたけど、そのなか鈴ちゃんを見てくれていた人もいて。
そこに幸せがあって、今度は鈴ちゃんが誰かを見つける番なんだなあとしみじみ。
でも小さい話のようでそういう幸せが実は難しかったりもするんですよね。
変わる日常、変わらない日常。変わる場所、変わらない場所。
それでも変わっていくことをどう受け止めるか、自分はどうしたいのかを考え生きていく勇気を
鈴ちゃんに教えてもらいました。

タイトルって言い切りじゃないですよね。
この世界の片隅に」の後に何か続いてもいい気がします。
この世界の片隅に生きる、とか。見つけた、とか。いる君、とか何でもいいと思いますけど。


最後に。
何も考えず、もしくはひたすら感動したと済ませて号泣ということはなかったです。
笑えること、楽しいこと、じわりと迫ってくる恐怖、戦争の恐怖、終わった安心と傷跡、そして希望。
その一つ一つの感覚を観客に見せて感じさせているようで、
当たり前を突然失う寂しさや哀しさ、普段の何気ないことがどれだけ愛しくて尊いものかを知り、
そういう世界で私たちは生きていることに気づいた時、自然に涙が流れ、止まることなく溢れてきました。


おわり。