映画とアニメと。

映画・アニメの紹介とか感想。映画もアニメもどこかで誰かが作品を通して何かと繋がる力があると思ってます。

あしたのパスタはアルデンテ:映画天国LGBT映画祭 その1

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『あしたのパスタはアルデンテ』(2010年/フェルザン・オズペテク監督)

簡単に言うと、映画天国という番組が今月は世界的なLGBT月間という事で
映画天国LGBT映画祭”をするぞ!→せっかくの機会を無下にしてはならないな!
とまあ、そのコンセプトに大変興味を注がれまして、乗っかってみましたというのが今回です。
それとともに、映画天国の宣伝ではないけど、便乗させて頂きましてもしこの記事が拾われて少しでも広まって

LGBTに関する映画を見てみようと思ってくれる人がいたらいいな、
むしろぜひ見てほしいって話です!

さて最近ではLGBTという言葉も珍しくはなくなってきておりますが、
LGBTとは、さてどういった事か念のため表記しておきます。
L(Lesbian)G(Gay)B(Bisexual)T(Transgender)の頭文字
です。最近では確か先週だったかなぁ、Google検索のデザインがレインボーフラッグを模したもので調べてみたら
レインボーフラッグをデザインをされたギルバート・ベイカー氏の生誕された日だったと記憶してます。
残念ながら彼は今年の3月末に他界されました。
そのレインボーフラッグは1978年6月25日にサンフランシスコで生まれたそうです。
正式に6月がLGBT月間になったのは2014年にアメリカの前大統領バラク・オバマ氏がそう宣言されたからだったり、
正直詳しくないので細部は語れないですが、今年のアカデミー賞作品賞に『ムーンライト』が選ばれたり、
日々の中でも目にする事が多くなってきて理解を深めるには絶好の機会だと思います。

そしてその映画天国が掲げるLGBT映画祭の口火を切ったのが『あしたのパスタはアルデンテ』
2010年に公開されたイタリア映画です。
邦題は主人公の実家がパスタ工場を経営しているのと人間関係も歯ごたえある方が
ってところなのかは知りませんが、原題はMine Vaganti、英題はLoose Cannonsとなっています。
さらに直訳すると縛られてない、縄から離れている大砲。それが転じて
”予測不能”、”何かをしでかす人”
という使い方がされているというところまで行き着ければ、
あらすじと照らし合わせても合わせずとも何かが巻き起こりそうな、ひと騒動ありそうな感じがします。
邦題ほどほのぼのしているようでしていない、でも、戸惑いながらも家族の関係を見直して自分の生き方を考える
ハートフルコメディ感は出ているかなと思わなくもないです。

・・・・・・下記ネタバレあります。

-----あらすじ-----

パスタ会社社長の息子トンマーゾは、家族には経営学部と偽って文学部を卒業し、小説を執筆していた。さらに大きな秘密を抱える彼は、長兄のアントニオが新社長に就任する食事会でそのことを告白しようとした矢先、兄が驚がくの秘密を発表。トンマーゾは何も言い出せないまま、兄の代わりに会社の経営を任されてしまい……。

保守的な価値観が残る町でパスタ会社を営む一家の長男が、ある重大な秘密を告白したことから巻き起こる大騒動の行方を描いたハートフル・コメディー。

家族に勘当される覚悟で一大決心したトンマーゾを中心に、自分も知らない尊敬する兄の本当の姿と、
家族の本音、愛すべきものはいったい何であるのか、そして自分自身とも向き合っていきます。

言ってしまうと兄も実はゲイだった!!!!と暴露して家を出てしまうというところから
物語は進んでいくわけなのですが、ここから同じ家族でも様々な関係性と構図が見えてくるのが興味深いし、
なんと言ってもゲイ発言の後からノンストップでところどころに撒き散らされる、笑わずにはいられないコントのようだったり
とにかくコメディ感が一気に強くなるのが特徴的な映画。それは決して同性愛を笑っているわけではありません。
コメディのなかに人目を気にしてばかりで個人を見ない、かと言って自分勝手に物事を決めつけるという事が
どれだけ無益かという事がはっきり描かれていました。

そのコメディ色が私が大好きなウェス・アンダーソンの世界観に似ているからさらに楽しい。

少しズレますがLGBTと日本のメディア(特にエンタメ)に関する記事をこの映画を見た後に読んで、
要約すると「ゲイである人はみんな女性らしい方ばかりではない。筋肉隆々の人もいる。
テレビで取り上げられているのはほんの一部だ」とありました。確かにその通りだし、むしろLGBTの認識が生まれない。

なぜこの話を挟んだかというと、この映画に出てくるトンマーゾも友人たちもアントニオも、
みんな見た目では分からないほど見た目はジェンダー的には男性だからです。
それは、友人たちがトンマーゾの家に遊びに来ても家族は全く気づいてない描写でよくわかります。

また、ゲイの話で少し隠れがちですが、
トンマーゾとアントニオの父親は息子の暴露で体調を崩して入院するも入院先で実は妻とは別の女性と密会していたり、
父親の妹(つまり叔母)さんはアル中で禁酒されてるのに隠れて飲んだり自由奔放なところあるし、
混乱する家族の仲でなんとか平静を保ち町の目を気にしていたトンマーゾの母親も我慢の限界が来て吹っ切れたように
町の人へも面と向かって皮肉を言う(メス豚と言われてドブネズミと返すセンス!)等々、
他にも家族はいるわけですがゲイだけじゃなくて家族もみんな本音じゃないところばかり!

そこに達観したように見守るのが、おばあちゃん。おばあちゃんなのです!!!
糖尿病かな?甘いものを禁止されて家から出るのにも許可がいるようななんだか文章で書くと軟禁されてるような生活。
だけど、すれ違っていく家族を繋ぎ止める役割をしたおばあちゃんの名言が凄まじく心に響いてくる。
「遅れてるのはあなたの頭よ」
「叶わない愛は終わらない。永遠に続くものよ。」
「紳士は怠け者より早く起きるのよ」
最初は理解するのに難しい言葉のようでひとつひとつに深みがあって、言われた本人は無自覚でも頭に響いている。
おばあちゃんもまた家族には隠していた秘密があり、孫がカミングアウトした事をきっかけに自分の人生に目を向け直す。
そして、最期、おめかしして思う存分にケーキを頬張って…。幸せそうでしたよ。

おばあちゃんのお葬式にアントニオが帰ってきます。父親とのわだかまりがすぐ解けるわけではなく、
でも少しは家族に戻れたかな、これから少しずつ理解していこうという余韻を残して家族の幕は閉じてしまいますが、
そこへ冒頭から続くウエディングドレス姿の女性と礼装をまとった男性が町を駆ける幸せそうなシーンも
同時にクライマックスへと向かいます。

この2人がどれほどキーパーソンであったのか。なんとなく想像はついていても
劇中でおばあちゃんは実は結婚した夫の弟を愛していたとトンマーゾに話すのですが、
ここではっきり繋がるわけですね。
ウエディングドレス姿の女性は昔のおばあちゃん。一緒にいた男性が夫の弟。

葬式の列の横を時を越えたかのようにその2人が駆け抜けていきます。
今思えば、孫が家を継ぐという事に対して出した決断と、
自分の生きたい道を生きていくおばあちゃんの心が重なった瞬間だったのかな。
でもおばあちゃんの行き着く先は実際は、夫になる男性が待つ式場で。
笑顔で見送るのは愛した弟で。

歩みたかった人生があったおばあちゃんが残した「自分の人生を歩みなさい」
というメッセージを強調するシーンだったと思います。

エンディングのカメラワークこれがまたおもしろい。
おばあちゃんの結婚式場で踊るゲストたちに混じり、今お葬式してたよね!?という面々が
一緒に踊り始めているではありませんか!!!それも相手は必ずしも決まったパートナーではなかったり、
アントニオと父親は隣に立って少し不器用な笑顔だけどお葬式の時よりも距離は縮まったような。
トンマーゾは一人遠くからみんなを眺めていたり。
自分勝手に生きる事と自分の生きたい道を歩むというのは似ているけどイコールではないのだと思いました。

 

LGBTというテーマで確かに取り上げられた映画ではあったけれど、映画を見て思ったのは、
自分の生きたい道について悩む事も周りの目を気にして個人を見ようとしない事にも
性なんて関係ないって事。
でも、家族でさえ言われないと分からないくらい街行くなかにもそういう人はいて、
それを表に出せる人と、抱え込んでいる人がいるということ。

幸いというのか、私はこれまでの人生でLGBTに含まれる友人がいましたし、
まったく見知らぬ方に唐突にカミングアウトされてお話を聞くという機会がありました。
後者はまあ置いておくとして、前者はそうかもなと思ってたりしてたのでカミングアウトされても
その後私たちの友人としての関係に変わりはなく、当時は学んでいた分野に関係もあったからか
周囲の理解もあった学生時代であったと私は思っています。

 

かといってそれが当たり前の世の中ではないという事も現実にはあるのです。
そういうのも含めた映画が今月まだ続きます。
映画天国って平日深夜でつらいところですが、せっかくなので見たいと思います。

 

 

おわり。